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【前編】「現代陶芸を考えてみる」トークショーレポート

昨年末に行われた奈良美智さんと村上隆のトークショー「現代陶芸を考えてみる」。当初はふたりの対談の予定でしたが、来場くださった美術・陶芸の関係者の方々に、急遽ゲストとして参加いただくことに。作家、美術館運営、陶芸ギャラリーそれぞれの立場から、現代陶芸芸術について約3時間かけて語りました。その全容を紹介します。まずは前編、奈良さんと村上の対談をお届けします。

後編はこちら

日時:2016年12月28日、18:00〜21:00
場所:Kaikai Kiki Gallery
登壇者:奈良美智、大谷工作室、桑田卓郎、小池一子、南條史生、西川弘修、松本武明、村上隆


写真左から村上隆、奈良美智 Photo by IKKI OGATA

やっと自由につくれるようになってきた~奈良美智の現代陶芸奮闘記

村上隆この前、ここKaikai Kiki Galleryで、大谷工作室という作家さんの展覧会をやりました。彼は、彫刻の勉強をしていたけれど、彫刻家で生きていくことはできないんじゃないかと人に言われ、陶芸の道を志し、今は陶芸と彫刻の狭間を歩んでいる人です。で、昔、滋賀県の陶芸の森という施設[★1]で、奈良さんと同時期に制作していたという話があり、そのご縁がつながってこの場が実現しました。僕は僕で骨董とか現代陶芸が大好きで買っていたんですけど、奈良さんは奈良さんで陶芸の世界にお詳しくて、僕はつくっていないですけど、奈良さんは陶芸作品をつくられているので、大谷君のよさについても話してもらえるかなと。それに、奈良さん自身も陶芸作品の画集を出版されたりしているにもかかわらず、いまいちそのあたりの活動がちゃんと語られていないし、そもそも日本では、現代陶芸とか現代美術というものは立ち位置をつくるのがなかなか難しいという事情があるんです。だったら、大谷君の展覧会が好評だったのを機に、現代陶芸の立ち位置についてトークをしてみたらどうかなと企画したら、こんなにいっぱいお客さんが来てくれて。

奈良美智びっくりした。

村上ということで、奈良さんからまず、どうぞ。

奈良そうですね。陶芸作品の本を出したりしていることは、自分からはあまり触れてこなかったし、周りからも言及されていないように見えるのは当然だと思います。というのも、陶芸を始めて10年は経つけど、自分は陶芸に関してまったくの初心者だったので、あまり大きい声で言うことができなかったのね。

 たとえば、絵を勉強してきた自分が彫刻をつくった時に、ちょっと俺より先に彫刻をつくっている彫刻家の人から、「やっぱり、絵画出身の人の彫刻だね」って言われると、俺は、「そうだよな。だって彫刻をちゃんと勉強しなかったからな」って、コンプレックスをもっちゃうんだよ。でも、それから20年くらい経って、彫刻科に教えに来てって頼まれた時に、「え? でも俺、勉強したのは絵画だよ」って言ったら、「大学出てから、そこらへんの彫刻家よりずっと彫刻をつくってきたじゃない」って言われて、「そうか、なんて俺はバカなことを考えていたんだろう」と思った。本当は、大学で勉強したかどうかは関係ないんだよね。ただ、彫刻は数をつくってきたからそう言えるわけで、陶芸に関しては、土に触るのもろくろを使うのも、ほんとに初心者だと思って始めたので、自分の中にへんな先入観とかカテゴライズがあったんだよね。
 
 でも、逆に言うと、僕は陶芸をすごい狭い世界の中でとらえていたのね。陶芸を始めた時の僕の頭の中は、伝統工芸の陶芸というものにしばられていて、信じられないことに、最初はまず自分もろくろの勉強をしたんですよ。人にいっぱい教えてもらいながら、ああでもないこうでもないとやって、ろくろを挽けるようになって。で、今度は同じ大きさの形を何個もつくらないといけないと言われて、それをやってる時に、「あれ? 俺、なんでこんなことやってるんだろう」って思って。それで、最初の目的だった、彫刻を粘土でつくって、それを焼くっていうことを始めたの。でも、見た方は知ってると思うけど、最初の頃の作品は、扁壺(へんこ)の壺に顔がついてたりとかして、ほんとは壺じゃなくてもいいはずなのに、なぜか壺のようなものをつくっていたんですよ。そんなことがいろいろあって、最近では、陶芸という手段で彫刻をつくるということが、どんどんどんどん自由にできるようになってきたんです。

トークショーで展示された奈良美智の陶芸作品 © Yoshitomo Nara Photo by IKKI OGATA

 で、それとは別に、絵付けも始めたんですよ。俺は器をつくるのが下手だし、時間もかかるから、「こんな風な形をつくって」って、仲のいい石山君という人に器をつくってもらって、そこに絵を描きました。それは、紙を漉く人に、「こんな紙を漉いてください。そこに俺は絵を描きたいから」って頼むようなこととすごく似てるんです。自分は紙を漉けない。漉いたらそれを覚えるまでに何年もかかるし、同じようなクオリティで何枚も漉けない。それに、紙は、名人がつくっても、いいものであればあるほど非個性というか、紙としての存在になっちゃうのね。もしかしたら、絵付けをする前の器を、慣れてわかっている人につくってもらうと、そういうものになるかなって思って。
 
 自分の中では、そういう絵付けと立体としての陶芸作品(セラミック作品)はまったく別物なんです。1回、粘土を積み上げて、中が空洞の立体をつくって、それを焼くという彫刻をいくつかやってみたんだけど、まだ勉強中だなと思ってて。で、その後に、全部粘土でつくる、いわゆる中味のある塑像で、500キロくらいのめっちゃ重い、おっきな顔をつくったんです。それを、今度は石膏で象って鋳造し、ブロンズに置き換える。そういう作業をして作品をつくって、2012年に横浜美術館で展覧会をしました。そして、その後にまた、陶芸で彫刻をつくってみようと、最初に戻ってきた。その頃には、自分の中の意識が確実に変わってて、もういわゆる陶芸、陶器にはしばられていなくて、彫刻として粘土という素材でつくって、それを焼成させるということを、なんのコンプレックスや疑問もなくできるようになっていた。ようやく、つくりたいものを自由に自分の手で生み出すことができたんです。

 で、そうしたこととはまた別に、立体作品をつくろうと、滋賀県陶芸の森のアーティスト・イン・レジデンスに初めて行った時に、やっぱりなにも知らないとだめじゃんって思って、いろいろ陶芸の勉強を始めたんです。MIHO MUSEUMや大阪市立東洋陶磁美術館とか、いろいろな美術館や博物館に行きました。そうして頭の中や本で勉強をしていく中で、陶芸の森のレジデンスに、本当にプロ中のプロみたいな人達、有名な人だと中里隆先生という人が来ていたので、ろくろとかの基礎を習ったんです。僕は陶芸の知識があんまりないから、中里先生がそんな偉い人だとは思ってなかったんだけど、彼は全然わけへだてなく、こんな初心者にもいろいろ教えてくれた。で、やればやるほど面白いのと、やればやるほど、これ以上やるんだったらもっと本格的にやらないといけないなっていう心が生まれてきて、じゃあ、自分はやめといたほうがいいと思った。茶碗をたくさんつくったけど、それを人にあげても迷惑になるってことが、だんだんわかってきたしね(笑)。
 
 そうやって土を知り、知識を得ていったことで、最近は陶芸で立体作品をつくってるんだっていう意識に移行してきて、こうして人前でもあまり物怖じせずに話せるようになりました。最初つくっていた頃は、一生懸命やってる何人かから、「奈良は陶芸をなめてるんじゃないか」って言われてるって耳に入ってきて、なんでそんなことを言われなきゃならないんだろうと思ってた。でも、そういう風に見る人もいるんだよね。じゃあ、もっともっとやればいいわけじゃん。そうしたらもっと真実は伝わるから。「だって、器をつくってもらってるでしょ?」っていう話も聞いてさ。俺がつくってもらってるのは絵付け用の、自分ができない大きさの皿や壺だから、なんか違うんだよ。そういうのも、作品をつくり続けて、人に見せていけばわかってもらえることだと思うし、結果は自分が言うものじゃなくて、今ここに来ているみなさんとか、作者以外の人が作品をどう見るかで決まっていくものだと思うんだよね。最近、やっと自由につくれるようになったかな。
 
 そういう陶芸の話を村上さんとしたのが、ちょうど台湾でやったGEISAIに審査員として呼んでもらった時で、2010年の秋、震災の前だね。たまたま陶芸の話になって、村上さんが陶芸に興味をもってるのも知らなかったし、村上さんも僕が陶芸に興味をもってるって知らなくて、話していくと、入り方はまったく違うんだけど、すごい似てる方向を見てるなって気がついたのを覚えています。GEISAIのTシャツをもらって、それを見ながら話してた。赤い字で「決戦」って書いてあったよね(笑)

彫刻じゃなく、なぜか壺になってしまう不思議

奈良じゃあ、ちょっとだけスライドをやろうか。
 俺、いまだに立体作品にはコンプレックスがあるんだよね。たしかに、大学出て10年くらい経って彫刻家って言ってる人よりは、自分のほうが彫刻をたくさんつくってるんだけど、大学の4年間、短大だったら2年間、たったそれだけの期間なのに、彫刻を専門的に勉強しなかったっていう思い込みが、どうしても自分の中にあるの。それは日本の教育の悪さだと思うんだけどね。海外では、最初にロサンジェルスで展示したのが立体作品で、それを見たロスの人は僕のことを立体作家だと思っていて、次に絵を展示したら、「この人、絵も描けるのか」みたいに言われて、面白いなって思ったんだけど。

(ここからスライドショーがスタート。ふたりが初めて陶芸の話をしたGEISAI TAIWAN時のツーショットなど、懐かしのお宝スナップが続々と登場。)

奈良美智 Photo by IKKI OGATA

 僕はこうして今日、トークに呼んでもらったのがすごく嬉しくてさ。村上さんとは昔から結構仲がよくて、2001年頃の写真を見ると、ふたりとも昔は痩せてたっていう(笑)。気がつくと、村上さんとは長い間一緒にいて、言わなくてもわかる人っていう気持ちが、自分の中では出てきてるんです。以上が、来た人だけが見られる特別ショットでした。

(次に、陶芸を始めた頃の陶芸の森での制作風景や、勉強のために見に行った場所の写真などを見せながら、話が続く。)

 これは、石山君につくってもらった壺に自分が絵を付けたもので、焼く前の状態です。朝鮮の李朝の器がすごい好きだったので、その形でつくってもらった。とくに大きい器は、大物っていって、大きなものをつくる特別な職人さんにつくってもらってました。で、それとは別に、自分でろくろの勉強をしながら、顔とかの立体をつくっていたのね。別に穴を開けて一輪挿しにしなくてもいいのに、なぜか頭に穴が……。わかってないんだよねぇ。そのうち上に穴が開かなくなってくるんだけど、初心者だったから、最後にどうやって穴がなくなっていくのかも初めはわからなかったの。
 
 勉強のためにいろんな場所も見に行きました。陶芸家の工房は遊びに行ったことがあるんだけど、やっぱり量産する陶器工場って、見たことのない不思議な世界なんですよ。売れていないものが積まれていたり、仏像を鋳造している場所では、出荷される前の仏像は命が入っていないらしくて、本当にそこらへんに晒されてる。へんに美術の世界の頭になってると、そういう集合体がレディメイドの作品に見えてきて、その考えを押さえるのが大変でした。ガラス質の長石を採る場所や古い窯とか、いろいろ見に行きました。瀬戸もそうですけど、信楽のようなやきもの産業で成り立っている街に外から来ると、ほんと珍しくて、面白いの。狸のやきものが並んでいる光景とかが日常的に見られるんだけど、きっと外人が見る日本ってこんなんだろうなって。

奈良美智《in the Puddle》(2007) Photo by Yoshitomo Nara

 最初の頃の作品を見せますね。このバナナヘアの頭は(《試作2号(ドレッド仮面)》2007)、村上さんが持っています。これは(大きな顔が水たまりに浸かっている作品《in the Puddle》2007)、粘土って柔らかいから、大きなものをつくる時は乾かし乾かしやらなきゃいけないのに、1日でつくろうとしたから、下のほうが弱くてつぶれちゃったの。でも、粘土がもったいないなと思って、ちょっといじくって違う形にしました。粘土って、乾くと縮むんですよね。下をつくると、上をつくる前に下が縮んじゃうから、縮んだ下に合わせてつくっていくと、上がどんどんちっちゃくなっていく。それも始めた頃に学びました。後でそうだよなって思うのも勉強だよね。あと、釉薬を掛けると、髪の毛の線とか細かいディテールが、釉薬の厚みで消えていくのね。最初はそれも慣れてなくて、やってるうちにわかってくるんですよ。
 
 これが扁壺の壺(《Anymore for Anymore》2010)。ほんと、なんで壺にしちゃったのかなぁ。ちなみに、これに掛けた釉薬は、中里先生がレシピを教えてくれたんです。偉い人はなんでも教えてくれるんだよね。でも、ほんとは聞いてショートカットするんじゃなくて、自分で探さないといけないじゃないかなって、ときどき試されてるような気がしました。この写真は、その壺を窯に入れるところで、自分のつくったお茶碗も一緒に焼くんだけど、模様を描くのがめんどくさくなって、全部卍にしちゃってたの。お椀をつくる時の自分の名前を卍コノフにして、卍コノフって書いたのがいっぱいあるんだけど、誰ももらってくれない(笑)。だんだんつくるのが上手くなると、余計にもらってくれなくなるんだよね。

奈良美智《おたふく1号》(2010) Photo by Yoshitomo Nara

 これは(金色の大きな頭の作品《おたふく1号》2010)、1回焼いた後に、金を塗ってまた焼くんです。それが今、村上さんのところにあります。頭に載せた布団は、上の方がちょっとちっちゃくなってるのを隠すための帽子なんです。でも、つるつるのものにざらざらとか、異素材を組み合わせるのが面白くてさ。
 
 陶芸の森で一番楽しかったのは、いろんな人と知り合って、交流できたことです。日本だけでなく世界中からセラミックをやってる人達が来ていて、伝統工芸の人もいるし、いわゆる現代陶芸の人もいるけど、作風が違っても、みんなで飯を食いながらいろんな話ができるんだよね。すごい現代的なことをやってるのに、すごい古いことを知ってたりとか。いろんなことをみんなから教えてもらって勉強になったし、すごく面白かった。誰かが夜通し窯を焚く時には行ってみたり、野焼きをするのにかこつけて、最後は宴会になったり。懐かしいなぁ。
 
 隣のスペースでは、ダニエル・ポントローっていうフランス人がつくっていたんですけど、彼はいつも小石を拾ってきてコレクションするんだよね。それを自分の場所に並べていて、つくる作品も、自然石から型をとって陶器にしたり。まったく自分と違う方向なんだけど、彼のしていることはすごく共感できるし、面白かった。大谷君ともここで知り合ったんだよね。彼はやっぱり、いわゆる陶芸家とは違ってて、上田(勇児)君のおばあちゃんの畑の上に小屋をつくったりとかしてたよね(笑)。大谷君は、展示をする時にも手伝いに来てくれたんですよ。あと、アリソン・ブリトンさんっていう、イギリスの美術大学の先生で、ハンス・コパーの最後の弟子っていう人もいて、そういう偉い人でも全然平等にものを見るから、面白くてさ。そういう人達がいる環境で制作していました。
 
 これは、自分が一番最初につくった花瓶です(《花頭花瓶(初代)》2007)。ずっと家に置いてあって、花を飾ってます。ほんとに楽しいんだよ。なんでこんなに楽しいんだろうね。これは最初に買った大谷君の作品。村上さんもその時に買ってたよね。今日、村上さんがコレクションの一部を床の間のスペースに飾ってくれているけど、自分で自分の作品(絵付けの壺数点)を見た感想は、やっぱり何個か揃うと、魅力が倍増するんだなってこと。もちろん1点でもいいんだけど、1点はやっぱり1点にしか見えないんだよね。ところが2点、3点集まると、3点なのに4に見えたりとか、そういう見え方がするから、ほんと立体って面白いなって思います。そんなところですかね。

(スライドショー終了)              

もたれ合いの陶芸マーケットと株式市場化するアートマーケット

村上今の奈良さんの話は、とてもいい話だよね。

奈良あははは。

村上そういういい話はもちろんあってしかるべきだと思うけど、最初に話したように、こういうトークの場を設けたかったのは、ひとつの新しいジャンルが生まれているのに、日本ではクリティックがキャッチアップしてくれないという事情があるからなんですね。とくにアートのクリティックは、若い人には注目するんですよ。もちろんそれはいいとは思うけど、その注目のポイントが、ネット世代がどうとかの世代論が多くて、技術に肉薄していることがまずない。VOCA展[★2]でも、日本中の評論家達がいろいろ選ぶけど、トンチンカンな選び方で、僕も奈良君もVOCAには出したけど、賞もとってないしね。

奈良今となっては、それが誇り。賞をとってたら恥ずかしいことになってた。

村上隆 Photo by IKKI OGATA

村上そうだよね。でもまぁ、僕と奈良君で言えば、奈良君のほうが日本の文化に馴染んでるよね。僕は、やっぱり日本の文化に馴染めない。ほんとに実感するのは、村文化が脈々と続いているということですよ。日本には村的な要素があって、新しいものをピックするのがすごく苦手で、1回走り出しちゃうとそれを止めることもできないし、革命を起こすのも苦手で。

 さっき勉強っておっしゃってましたけど、奈良さんはつくることで、僕は買ってコレクションすることで勉強するタイプなんですよね。作品を買ってもすぐ倉庫に直送して、展示することはほとんどないんですけど、買った瞬間のイメージが脳内にキャプチャーされていて、何度も何度も反芻するわけです。たとえば、大谷君の作品が5万円で、奈良さんの作品はその100倍くらいする値段だとすると、そこになんの差があるのだろうか、とか。そういう中で、陶芸は僕自身が惹かれ続けていて、陶芸作品を買う場合には、日本人における芸術のリアリズムってなんだろうというのが、ひとつの大きなテーマになっているんです。
 
 で、大谷君とは、ここ5年くらい一緒にやってきたんですけど、彼は、現代美術作家の奈良さんが陶芸界に来て、その後追いになるかならないかという十字架を背負った、非常に不利な立場からスタートしているんですね。しかも大谷君は、陶芸の世界に行こうとしていたことがあるんですよ。陶芸家でやるんだ、俺はと。そこに、本当にそれでいいのかと疑問を投げかけつつ、さらに、マーケットにおける値段の揺らぎに対しても、いろいろ問いかけました。ギャラリストが言ったからと、あるギャラリーでは高く売ったり、別のギャラリーでは安くしたりと、値段が終始一貫せず非常に揺らいでいたんですよ。

奈良アートのフィールドにポッと出てきた人は、そういう風に値段が一貫していないというのは、よくあることだと思うよ。

Kaikai Kiki Galleryで2015年に開催された「gallery’s eye」展示風景 Photo by Keisuke Osumi

村上でもね、僕は1回、大谷君にすごくブチ切れたことがあったんです。去年ここで、うつわノートの松本(武明)さんが企画して、「gallery’s eye」っていう、10軒のお店を集めた展示をやったんだけど、その時の松本さんのテーマは、クラフトフェアで陶芸家がディーラーを通さないで売ってる状況に対して問題意識をもつということだったと思うんです。クラフトフェアだと、お店で買う7掛け、6掛けの値段で買えるから、お客さんも走って買いにいくと。つまりそれは、ギャラリーが陶芸家に利用されてるだけだし、ギャラリーのほうもそれだけの価値観を醸し出していないんじゃないかというね(*うつわノートの松本さんより村上のFacebook上で、実際にはクラフトフェアにおいても、ほとんどの作家がギャラリーと同じ価格で販売しているとの指摘を受け、ここに注釈を追加いたします)。

 で、なぜ僕が大谷君にぶち切れたかというと、滋賀の陶芸の森界隈で陶芸のフリーマーケットみたいなのをやって、そこで自分のブースを出して売ったと言うんです。で、売るにあたっては、ギャラリーで売ってる値段じゃなくて、ギャラリーから自分がもらってる金額をつけて、なんとなくぼんやりとやってるわけです。でも、店では1万円で売ってるものをたとえば5000円で売ったりすれば、最近はネット社会なので、聡い外人とかが買い付けに来て、実際、「買ってっちゃいました」と。僕は、なんでそういうことをするのかなって思うんだけど、結局、日本の陶芸界は、画廊と陶芸家の関係がもたれ合いなんですよね。責任をまったくもたない者同士がもたれ合って生きている。悪い場合は、ギャラリーが手形で払ってきて、その手形が落ちないことがあったという話も聞きました。基本は委託なので、アーティストに60パーセントあげて、ギャラリーには40パーセントが入るんだけど、10パーセントの差額は買い取りじゃないからですっていう暗黙の了解があったりする。そんな構造があるから、陶芸家は陶芸家で、いつギャラリーが自分に声掛けしてくれるかわからないし、自分達をサバイバルさせないといけないので、クラフトフェアみたいなところで、ギャラリーから戻ってきたものをパーセンテージを抜いて売ると。そうやってサイクルをつくっている。それはしょうがないシステムかもしれないけど……。

奈良生きるための呼吸だよね。

村上日本ではそうするしかなくて、ブチ切れる僕が間違っているかもしれないんですよ。でも、価格の話をなんでしたかというと、僕と奈良さんは、アメリカをベースにした現代美術の価格で取引しているじゃないですか。なんやかんやいって、アメリカベースなんですよね。

奈良ドルベース、西洋ベースね。

村上たとえばギャラリストが値段を上げていっても、なぜ僕らがそれを承諾しなきゃいけないかというと、そういうアートマーケットのシステムの中でやっているからですよ。プライマリーマーケットという、最初に作品をギャラリーで売るマーケットがあったり、セカンダリーマーケットといって、買ったものをもう一度転売しようとか、飽きちゃって売りたいと思っている人、オークションでもっと高く売って儲けたいという人が参加するマーケットがあって、その全体で回っていくシステムがある。そこで、たとえば僕のペインティングを200万円で買って、1、2年後のオークションで1000万円で売れたら、もう一度ギャラリーで200万円で売った時に、そりゃあ200万円のものを業者はみんな買いますよね。

奈良プライマリーマーケットという言葉を初めて聞く人もいるかもしれないけど、一番最初に自分がギャラリーで展示する時のことね。村上隆展とか奈良美智展ってやつで、オープニングでその場に自分達もいたりするような展覧会。そこで売れた金額は、大抵半分はもらえるんですよ。でも、どこかから買ってきた作品を勝手に展示して、村上隆展、奈良美智展ってやってるのは、全然僕らと関係ないんです。そういうものがセカンダリーマーケットで、何百万、何千万で売れても、僕らにはもちろん一銭も入らない。アートマーケットというのは、そういう思ったよりも大きな世界なんですよ。

トークショー会場風景 Photo by IKKI OGATA

村上ポール・シンメルというキュレーターが、ロサンジェルス現代美術館で働いていた時に、「Public Offerings」(公募による株式などの売り出しを意味する言葉)というタイトルの展覧会をやって、当時話題になったんです。僕も出品しましたけど、奈良さんも出てなかった?

奈良出しましたね。

村上ようは、作品がオークションで公開されて高値を付けた瞬間に、株式と同じになるじゃないかという批評的視点をもった展覧会だったんだけど、アートマーケットって、ほんとに株式の世界とそっくりなんですよ。人気があれば価格が上がるし、人気がなくなると下がっていく。僕らと同じ頃にデビューした人や、僕らよりも下の世代でも、いなくなってる連中がいっぱいいるわけです。そんな中で、僕はやっぱり価格に対する敏感さが必要だと思っているんですが、こと日本のマーケットと社会のシステム、それとメンタリティにおいては、お金を稼ぐことに対して許せないっていう嫉妬心、もしくは抜け駆けは許さんっていう雰囲気があって、やっぱり村社会なんですよね。

 一番わかりやすかったのは、みんなも共犯者だと思うんですけど、ヒルズ族を糾弾したってことから始まり、あとは原発を今まで温存してるということですね。地方の原発の近所に住んでる人達は、どれだけ原発がなくなるとヤバくなるかがわかってるんで、なにも言えないと。ようするに村社会における経済の流通システムがあって、事なかれ主義でやっていたほうがいいってことなんですよね。へんな話、中国が共産主義をやめないのは、共産主義のほうが楽だからなんですよ。資本主義にしちゃうと、アメリカみたいに貧富の差が激しくなって大変でしょ?と。だったらこのまま、みんなで上手くやったほうがいいという考えがあって、彼らはまだ中道をいっている。日本も同じようなものじゃないですか。

 僕は、芸術の頂点をどういう風につくっていくべきなのかということを、学生の頃からずっと考えていて、当時は宮崎駿とか大友克洋がデビューして、彼らが頂点に登りつめていく様を眩しく見ながら、しかし自分はマンガ的な実力がなかったので、現代美術の世界に入ってきたわけです。けれど、いったんアメリカのほうに出ていくと、本当に芸術が株式市場と同じように動いていて、それに対する反発心もありつつ、なんでその中で日本人のアーティストがサバイバルできなかったのか、その根拠を知るわけですよ。やっぱりこれは馴染まんなと。しかし、僕は決意をして、ダースベイダーがシスと契約するみたいに、悪魔と契約したわけです。やっぱり、僕は金の世界でやってみると。そうしないと見えない世界があるかもしれないからやるんだと。で、見事、最後はダースベイダーになって、ハーッハーッて死ぬんでしょうけど、まぁ、それもしょうがないわけですよ。

大谷工作室は奈良&村上と同じ憂き目に遭う!?

村上そういうわけで、大谷君のマーケットに対する意識はおかしいんじゃないかって、僕は思ったんですよね。大谷君は、すぐに「ごめんなさい」って言ったけど、本質的なものがわからないであろうから、数年前からシカゴやベルリンとかで機会をつくって、一緒に連れてったり、作品を販売したりして、ビジネスの難しさを実体験してもらったんです。現地に行くとそれなりにコストがかかる現状を見てもらったりして、価格がどれだけ哲学的なものなのかということを共有しようとしたんですね。

Kaikai Kiki Galleryで2016年に開催された大谷工作室「僕が17歳の時、ジャコメッティの話を美術の先生に聞いて、彫刻に憧れて、僕は今、彫刻を作ってます」展示風景 Photo by Kozo Takayama

 で、そうしたすごく時間をかけたコミュニケーションがあり、次に、大谷君の展覧会のタイトルにもなった、ジャコメッティがどうちゃらこうちゃらっていう話(「僕が17歳の時、ジャコメッティの話を美術の先生に聞いて、彫刻に憧れて、僕は今、彫刻を作ってます」)をしていた時に、僕は、その大谷工作室っていう名前をやめたほうがいいって言ったんですよ。うちのアーティストのMr.の場合は、ちゃんと日本の名前があって、最初それを使ってたのに、途中でMr.に変えたから、たけし軍団にいるんだったら今後もガダルカナル・タカを使えよって言ったんです。1回自分で命名したなら、名前を変えちゃいかんのじゃないの?って。それでいまだにMr.で通していて、もう普遍的な名前になってますけど、大谷工作室の場合は、それとは違うんですよね。大学生の頃に彫刻をやろうと思ったけど、彫刻では食っていけないので、陶芸のほうに来ましたと。その中庸の場所を確保するためのネーミングなんですよ。だったら、どうせ今後も陶芸の作品がほとんどなんだろうから、本名の大谷滋でいいじゃんって。もうこれを機に名前変えたら?って言ったら、彼は、「いや、自分は大谷工作室でいきます」と。

 そういういろいろないきさつがあって、展覧会をオープンして、蓋を開けてみたら驚いたわけです。芸能人だとみんなわかると思うんですけど、ある日ある時、AKB48のある女の子が選挙で上位になると、女優になるというか、本物になるっていうか、そういう顔をしていたんですよ、ここに来た時の大谷君が。僕はその瞬間が非常に感動的で、やっぱりいろいろコミュニケーションしてきたことで、そういう顔になるんだなって。僕も上から目線な発言をしちゃいますけど、芸能界が長いプロデューサーが偉そうなことを言うのと同じように、僕らも芸術界が長いので、ああよかったなって思って。作品を見たら、やっぱりすごくよくて、それをInstagramに上げたら、奈良君が即座に反応して、展示作業中だったこのギャラリーまで来たという経緯があります。
 
 それで、大谷君の展覧会がすごく成功したんだけれど、その時に僕はひとつの危惧を感じて、大谷君も、僕や奈良君と同じような運命の憂き目に遭うなと思ったんですよ。

大谷工作室「僕が17歳の時、ジャコメッティの話を美術の先生に聞いて、彫刻に憧れて、僕は今、彫刻を作ってます」展示風景 Photo by Kozo Takayama

奈良ふんふんふん。

村上それはどういうことかというと、昔、僕らは小山登美夫ギャラリーで発表していたんですけど、その時に、マンガの森アーティストって言われていたんですよ。小山登美夫ギャラリーはマンガの森ギャラリーだねって、みんなが蔑視するわけ。でも、マンガ的な文化の中で育ってきて、そのエッセンスを吸い込んでいるから、マンガ的な文脈の芸術をつくるのはあたりまえなのに、なんで今さら蔑視しなくちゃいけない? しかも、なんでマンガを卑下しないといけない? われわれが卑下されないといけない? そういう状況と同じように、大谷君も、「ああ、なんか現代美術やって向こう岸に行っちゃった、あの陶芸家みたいな人ね」って言われる憂き目に遭うことが、確実に見えたんですよね。それで、僕は今日のようなトークショーもどんどんやんなきゃいけないなって思ったんです。別に言われてもいいんですよ。でもそういうことをやってると、自国の文化を目減りさせるし、結局、僕と奈良君の周りの仲間達って、なかなか生き残ってないじゃないですか。

奈良そうなんだよ~。

村上なんで生き残らないかというと、僕は、そのポイントはプロデュースだと思ってるんです。さっきの中里隆さんの釉薬の話じゃないけど、先人が培った技術は後進に伝えるべきであると。それが文化だと思うから。

奈良ふんふんふん。

村上だから、試されてるかもしれないっていう奈良さんの謙虚な姿勢は素晴らしいと思うのと同時に、中里隆さんが技術を伝承するというのはあるべき姿だと思うので、僕は自分が得てきた対日本文化の接し方、もしくは現代美術という文化との接し方を後進に伝えるのがすごく大事かなと。ただ、自分が知らないのは、やっぱりマンガの世界と同じくらい広大な日本の陶芸ファンについてなんですよね。

奈良たしかに、日本では、陶芸系のフリマみたいなところに行くと玉石混合なんですよ。コミケとかで見られるマンガの世界も同じで、ぱっと見ると玉石混合で、その中にすごいのもいるんだけど、これなんだろうっていうのもいたりする。でも、それだけ裾野が広いのが日本の陶芸だったり、マンガだったりするんじゃないかな。こんなに陶芸が盛んな国はないと思う、俺。

村上そう。だから、漫画家もそうだけど、陶芸も結構な人達が食えてるわけですよ。ただ、マーケットもパイも大きいけど、ほんとに強力なアーティストはいないし、みんなが薄ーく平たく食っているわけですね。そこに、いい作品はギャラリーで売れて、型落ちっていうか、売れ残ったものはクラフトフェアで売るっていうシステムが上手く機能している。そういう中に、僕は、大谷君や他のアーティストを起用して、異議申し立てを仕掛けているわけですよ。いや、異議申し立てじゃないかな。現代美術的な見方でも陶芸は通じるんじゃないかっていう提言ですかね。だから、僕がいまだに日本のオタク界からバッシングされるように、大谷工作室は、たぶん終生、日本の陶芸界からバッシングされる十字架を背負っちゃったかもしれないんです。

奈良あ~、なんか羨ましいなぁ。

村上なんで?!

奈良俺もバッシングされたいな(笑)。

村上ハッハッハ!

奈良でもさ、村上さんは、彼らのものを海外に持ってったんだよね。しかも日本の伝統工芸のような見せ方じゃなくて、現代のものとして見せた。本格的な展示は、ロサンジェルスのBlum&Poeでやった大谷工作室と上田勇児と浜名一憲の3人展が最初かな。空間に砂利や木屑みたいなのを敷いて、全体をインスタレーションにしてね。茶碗とかの器も1個1個見せるんじゃなくて、円い大きな棚をつくってまとめて、それ全体を売ったんだよね。

村上そうそう。

ロサンジェルスのBlum&Poeで2015年に開催された大谷工作室、上田勇児、浜名一憲の3人展展示風景

奈良それって現代美術的なアプローチだと思うのね。問題は、そこは現代美術のギャラリーだから、その展覧会が成功したってことは、現代美術のマーケットに入っていったということなの。工芸のマーケットじゃないのね。で、彼らの作品が、今、世の中を支配している西洋のマーケットに入っていくと、今までわりと平等で、誰でも仲間意識がもてた日本の陶芸界からは、やっぱりバッシングされていくんじゃないかなと、そういうこと?

村上そうですね。この前、上田君が別のギャラリーで展覧会をやった時に、僕らが取り扱っている値段よりも安く売ったんですよ。勝手にではなくて、ちゃんと相談されたんだけど、上田君は話してもよくわかんない反応しかしない人なんで、彼がなにを考えているのか知りたくて、「とりあえず自分で決めて」って言ったら、安くしたんですよ。しかも、上田君もロサンジェルス、ニューヨークって連れて行って、シッピングコストとかいろいろお金がかかってますよと説明し、六本木ヒルズのA/D GALLERYで「トンチンカンテン」という3人展を僕がキュレーションした時も、アメリカと同じ価格にするのもどうだから、シッピングコストや経費を抜いたこのくらいかなっていう値段を出したら、彼は自分の展覧会でそれよりも安くやり始めたのね。

 それに対して僕は、アーティストの無知というか、無自覚を感じたんだけど、もうしょうがないなと。僕も彼に体験してもらったんでね。勘のいいディーラーやコレクターは、「お、安くなってる」って、混乱に乗じて買ったと思うんですよ。それでもいいんだが、誰が損するかというと、本人はもちろん損しますけど、こっちにまでとばっちりがくるわけ。ビジネス的にという意味じゃなくて、せっかく新しいジャンルが生まれようとしているのに、なんでそういう芽をつぶそうとするのかと。本人はわかってないんですよね。話を聞くと、自分は新しいことをやってるっていう自覚は必ずあるわけ。でも、新しいことをやり始めるということは、前のものとはまったく違うものなんだから軋轢が生まれてしまうということが、若いからわからないし、わかりたくもないと。本人は上手くやっていけると思っているけど、軋轢は生まれるわけですよ。にもかかわらず、適当にそのへんでお茶を濁している。そんなことをやってたら、100パーセントつぶれるんですよ。僕も奈良さんも知ってるような、何人かのつぶれちゃってる人がいるじゃないですか。

奈良(苦笑)。

村上でも、わからないわけですよ。僕は最近、わからないのはバカだからだなって思うんです。たとえば芸能界にいて、麻薬やっちゃまずいじゃないですか。でも合コンとかあるとみんなやるわけですよね。もしくは、芸能界には売春もあって、なんとかのグループにいるけどいくらで買えますよとか、事実として今もあるわけですよ。でも、それに手を出していいのかどうかは本人が考えるべき話で、安く自分のブランドを売ったが最後、一生そのブランドになるわけじゃないですか。ブランドっていう言い方がまた、日本人と整合性が悪いんですけど。

奈良悪いねぇ。

村上だけど、生き方というか、自分が芸術家としての義を通すというか、やっぱり筋が通っていなければ、マーケットもお客さんも批評家も、一緒にやってる仲間もみんなついてこないんですよ。そういうことを実体験しながら、傷つきながら僕はやっていきたいなと思ってるんですけどね。大谷君は大谷君で、僕は1回すごい彼を傷つけたことがあって、本人も僕に対してむかついたか、傷ついたはずなのに、それでもついてきてくれているので、僕は今回の展覧会はなおさら感動的だったんですけどね。

村上隆の現代陶芸コレクション遍歴

(スライドショーがスタート)

村上僕もスライドを何枚か揃えてきたので、お見せしますね。

奈良ほんと、大谷君の展覧会、すごいよかった。

村上よかったよね。僕は本当に感動したんですよ。なんていうか、ある時期に咲くお花にしか見えないくらい……『Santa Fe』っていう写真集の時の宮沢りえちゃんは最高だったというのと同じくらいに。古くて申し訳ないですけど(笑)。

奈良それを言うなら、「時をかける少女」の時の原田知世ですね。

村上あと、「20世紀ノスタルジア」の広末涼子とかね。失礼しました(笑)。

 僕は、現代陶芸にフォーカスした展覧会を、3月11日から青森県の十和田市現代美術館でやらせていただくことになりました。10年越しの現代陶芸コレクションを中心に据えてです。そのコレクションは、ギャラリーとの出会いがきっかけでした。根津美術館の道を挟んだ対面に東青山というお店があるんですが、ここで買った上泉秀人さんの磁器がすごく好きで、それが陶芸に入っていったひとつのきっかけでした。次に、西麻布にある桃居というお店では、いろいろな作家さんの作品を買わせていただきました。桃居のオーナーの広瀬一郎さんは、村上春樹が小説に書いているバーのマスターみたいな感じで、実際にバブル経済で沸いた80年代にバーをやっておられたんです。その広瀬さんにはいろいろ教わりました。『Casa Brutus』の企画でも対談させていただいて、僕、わけもわからずどんどん買ってたんで、「どうして僕、陶芸を好きなんですかね」って、禅問答みたいなことを広瀬さんに聞くと、ちゃんと答えてくれて、優しい人なんですよ。これは当時のコレクションですね。

十和田市現代美術館で3月11日〜5月28日に開催される「村上隆のスーパーフラット現代陶芸考」キーイメージ Photo by Mikiya Takimoto

奈良どんどん増えていってるんだよね。

村上そうそう。次は、うつわノートというブログを松本(武明)さんがやっていて、今は埼玉の川越にお店を持ってらっしゃるんですけど、松本さんにもいろいろ教わりました。鎌倉にあるうつわ祥見というお店が出している小野哲平さんの刊行物(『うつわびと』)も勉強させてもらったひとつです。この頃に、『美術手帖』の現代生活陶芸をテーマにした特集で、広瀬さんと松本さんと僕とで座談会をやらせてもらいました。表紙が小野哲平さんでしたね。

 あと、自分でも、Oz Zingaroという陶芸を中心にしたギャラリーを中野でやっています。熊谷幸治君という土器を中心につくっている作家の展覧会とか、大谷工作室さんや上田勇児君の展覧会などを開催しました。浜名一憲さんの展覧会では、浜名さんが近所の千葉の海で拾った漂流物を、うちが持っている浜名さんの作品とコンボして展示しました。出版活動もしていて、村田森さんの画集を出しました。今、小嶋亜創さんの画集をつくっていて、ほぼけんかに近い感じで本人とバチバチやってるんですけど、本にはそのメールのやりとりも載る予定です。本当は年内に出す予定だったんですけど、一度企画がはじけそうになってしまったところを、なんとか小嶋さんがつなぎとめてくれて、3月には出版予定です。

 今年、横浜美術館でコレクション展(「村上隆のスーパーフラット・コレクションー蕭白、魯山人からキーファーまでー」)をやったんですが、そこでも現代陶芸を見せています。その時は時間がなかったので、また陶芸の展覧会がやれればいいやって思って、とりあえず陶芸を持っていることをアピールしようと、ジャンルや作者は関係なくごちゃごちゃと置きました。今日展示している村田森さんの鯰の形をしたお皿とか、大谷工作室さんのゴジラや熊さん、上田勇児さんの作品、あと熊谷君の土器とアンティークを組み合わせたり、村田森さんの破れ壷とアンティークを一緒に見せたり。陶芸とは違いますけど、これはアンセルム・ライラの作品で、いなくなっちゃったアーティストのいい例ですね。彼は僕のちょっと後に出てきたんですけど、爆発的に売れて、僕もいいなと思ったんだけど、すぐにいなくなっちゃった。ようするに一発芸の芸人みたいな感じなんですよ。

横浜美術館で2016年に開催された「村上隆のスーパーフラットコレクション―蕭白、魯山人からキーファーまで―」展より、村田森《破れ壷》とアンティークの展示 Photo by Mie Morimoto

奈良そういう一発芸でも、残る人と残らない人の違いがどこかにあるんですよ。ギター侍はいなくなったけど、ゲッツ!が残ってるのはなぜだろうとかね。

村上そうね。時流をみて、自分の居場所を少しずつ探していったりできるかどうか。これは奈良さんの作品で、一番最初に買ったものも展示しました。隣はクララ・クリスタローヴァの作品です。

奈良彼女はスウェーデンに住んでる作家で(プラハ生まれ)、僕も1点動物みたいな作品をもってます。

村上高いんだよね。これで280万くらいしたかな。「奈良さんの陶芸作品は本当によいです」って、僕もバカみたいなことをパワーポイントに書いてますけど(笑)。でも、これは買った人じゃないとわからなくて、ほんとにいいんですよ。今展示している絵付けの壷も、写真で見た時は、言い方悪いけど、バカじゃないのかって思ったの。落書きじゃん!みたいな。聞くと値段は高いし、なんでやねん!とか思って。でも実際に見たら、なんかいいなぁって思って、扱っていたのが小山さんだったから分割で払わせてもらって、持って帰ってみたらすごいよかった。これ(《Two Faces》2009)は年間3回くらい使ってるかな。やっぱり花を生けるとすごく生えるし、お客さんがあって気持ちを上げたい時なんかは、これを使いますね。

 次は、今日展示している作家の作品を見せますね。村田森さんの京都の工房と展覧会。それと韓国の務安という場所につくった工房の釜焼きと器の数々。これは大谷君の中野でやった展示で、壁画やペインティングも大谷君のものなんです。下手ですけど、いいか悪いかじゃなく、拾ってきたトタンみたいなのに描いているのが、非常に趣深いんですよ。これは僕がキュレーションした、浜名さん、大谷君、上田君の3人の「トンチンカンテン」のインスタレーション。尾形アツシさんは、2017年年末にここで個展をやってもらいます。ちなみに奈良君さ、さっきスライドであった、大きい作品を支えるリムって、奈良さんがつくったわけじゃないの?

トークショー当日は、大谷工作室、上田勇児、村田森の陶芸作品の販売も行われた。写真手前は村田森のティーセット Photo by IKKI OGATA

奈良あれ、自分でつくったんだよ。

村上今、あのシステムが陶芸の森でデフォルトになってるよ。尾形さんがでかい壷をつくってるんだけど、中にリムがあるわけ。たぶん、陶芸の森の内部の人が教えたんだなって。

奈良なんか俺、いいことしてる(笑)。

村上これは上田君。人のいい顔してるでしょ。上田君は大谷君から紹介してもらって、やりたくもないのに展覧会をやったんだけど、やってみたらよかったんで、はめられた感があるんですよね(笑)。基本的に、作品は本当にいいと思います。でも、上田君は大谷君とは違って、陶芸の世界から来ているので、そこが一枚抜けない部分かなと。別に陶芸の世界にいてもいいと思うんですよ。安くするならするで、そういう決意表明と立ち位置をちゃんと自分でつくれば、全然問題ないと思うんですよね。でもだったら、ああいう抽象的なオブジェが日本のマーケットでどれくらい売れるかということもちゃんと勘案していかないと、この先どうなんだろうという気がしないでもないですけど、そこは作家本人の人生なので、僕は関与しません。
 上田君のことは、僕は全然好きじゃなかったんですけど、大谷君がすごいリコメンドして、ほんとにいい作家ですからやってくださいやってくださいって言うんでやったら、お茶を淹れてもらった時に、彼のことが好きになったんですよね。彼の実家が朝宮茶というお茶をつくっていて、それがびっくりするほど美味しくて。

奈良宇治の隣が朝宮なんだよね。

村上自分にちょっかい出してくる、村上さんのこと好きだよって言ってるクラスの女の子のことを、いやいやどう考えても俺の好みじゃないしどうかなって思ってたら、「お茶どうぞ」って出されたお茶を飲んだ瞬間に、その女の子がピーッってきれいに見えたっていうか、そういう効果があったんですよ。そのお茶で、上田君に後光が差しちゃった(笑)。それで上田君とやっていいかなと思って、大谷君に相談したんだよね。
 以上、うちの扱っている全部の作家ではないですが、畳の部屋で展示している陶芸の作家を紹介しました。

(スライドショー終了。ここで1時間半の予定を長丁場の体制に変更し、いったん休憩をはさんでから、後半を続けることに。)

後編はこちら

脚注

★1 滋賀県立陶芸の森
滋賀県信楽にある、やきものに特化した複合文化施設。陶芸専門の美術館、信楽焼の産業展示館、陶芸家の作品が屋外展示されている公園などがあり、アーティスト・イン・レジデンスでは国内外の作家が多数滞在制作を行っている。レジデンスは誰でも申し込んで、審査を受けて通れば入ることができる。奈良は2007年から、たびたびここで制作している。

★2 「VOCA展 現代美術の展望―新しい平面の作家たち」
1994年から、上野の森美術館を会場に毎年開催されている、平面作品を対象とした展覧会。若い才能を発掘する目的で、全国の美術館学芸員やジャーナリスト、研究者らが推薦する40歳以下の若手作家全員に出品を依頼し、その出品作の中から選考委員が複数の賞を決定する。近年は写真、映像作品なども含まれ、多様化している。

構成=宮村周子