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【後編】「現代陶芸を考えてみる」トークショーレポート

昨年末に行われた奈良美智さんと村上隆のトークショー「現代陶芸を考えてみる」。後編は美術家、陶芸家、美術館関係者、陶芸ギャラリーオーナーの方々を交えたお話です。

前編はこちら

日時:2016年12月28日、18:00〜21:00
場所:Kaikai Kiki Gallery
登壇者:奈良美智、大谷工作室、桑田卓郎、小池一子、南條史生、西川弘修、松本武明、村上隆

写真左から村上隆、桑田卓郎、大谷工作室、奈良美智 Photo by IKKI OGATA

作品の面白みだけに賭けていく危険性

村上隆では、これから後半を再開して、ぐだぐだトークをやろうと思いますが、奈良さんと僕だけだと、同じような話を繰り返しちゃうかなと。

奈良美智歳とると繰り返しがちだよね(笑)。

村上なので、関係者を呼び込んで、2、3回転くらいしようかなと思ってます。それではまず、今まで話題の中心になっていた大谷工作室さんを呼びたいと思います。どうぞ!(会場拍手) 大谷君、今の話を聞いて思うところがありましたらお話しください。

大谷工作室大谷です。よろしくお願いします。ほんまにラッキーなことに、初めて陶芸の森に行かせてもらった時に、奈良さんにお会いして、その時はもう自分でつくり始めていたんですけど、奈良さんの制作を目の当たりにすることができて、とても勉強になりました。村上さんにもお会いできて、このあいだここで展覧会をすることができました。

村上知り合いの陶芸家とか、誰か会場にいますかね。

大谷桑田卓郎さんがいらっしゃいます。

村上じゃあ桑田さん、しゃべってよ。どうぞ~。(会場拍手)

奈良桑田君も、話すのはあまり得意じゃないと思うよ。

村上でも、現代美術と陶芸の世界って、桑田さんの話じゃない? 桑田さんが先陣を切って開拓している世界だけど、居場所がないでしょ?

写真左から桑田卓郎、大谷工作室 Photo by IKKI OGATA

桑田卓郎(登壇して)桑田と申します。突然ですがよろしくお願いします。

大谷桑田さんは、僕は陶芸イベントでお会いしたことがあったんですけど、陶芸の森で初めてちゃんと話せるようになりました。大きいものをバンバンつくってはって、すごい勉強になっています。

桑田僕も、大谷さんとは同い年なので、陶芸の森では一番交流がありました。もともと大谷さんの存在や、どういうものをつくっているかもなんとなく知っていたんですけど、陶芸の森に展覧会のための作品をつくりに行った時に出会って、奈良さんの話にもありましたけど、一緒にご飯を食べたりしてコミュニケーションをとるうちに、だんだん距離が縮まっていったという感じですね。

奈良桑田君が最初デビューした頃、いわゆる陶芸家っていう感じだった時は、大きいものは全然つくっていなかったじゃない? いつぐらいから作品がお茶碗から離れて、オブジェ的になって、巨大化していったの?

桑田京都の小山(登美夫)さんのギャラリーで最初に展覧会をさせていただいた時はまだお茶碗とかで、次に清澄白河のギャラリーでさせていただく時に、奈良さんに「お茶碗じゃなくてもいいんじゃない?」みたいなことをちらっとお聞きしたりとか、いろんなタイミングがあって、立体作品をつくってみようと思ったのが始まりだったと思います。

奈良そうだったのかぁ。いや、やっぱり茶碗は自分の知らない世界だから、茶碗を離れると、共通言語がいっぱいできてくるんだよね。お茶碗系の作品も、自分はその共通言語で見てて、いわゆるお茶碗としては見ていないの。マテリアルとしての土と釉薬と、あと彼の場合はとくに色が特徴的だよね。そのお茶碗からもどんどん変わっていくから、お茶碗である必要はないんじゃないのかなって思ったのね。大谷君は、いつぐらいから大きくなったの?

Oz Zingaroで2011年に開催された大谷工作室「たましい的な。」展示風景

大谷中野のOz Zingaroさんでやらしていただいた時におっきい熊をつくって、それが最初でした。

奈良大きくなると、今までつくっていた、生活で使う大きさのものと全然かけ離れてくるじゃない? たとえば大谷君は熊とかの動物の頭もつくっていたけど、それが小さいものから実際の動物と同じくらいの大きさになったりとか。それによって、今までつくってきた、いわゆる陶芸作品と意識が変わってきたのはわかる?

大谷それはすごいあって、最初に大きいものをつくりだした時は、そのまま大きくした感じで、つくるだけでいっぱいいっぱいだったのが、だんだんできるようになってくると、その大きいものの中でなにができるか、みたいなことを考えてやろうとし始めて。

奈良大きいものをつくりだすと、やりたいことがいっぱい見えてきて、あれもやりたい、これもやりたい、みたいなね。俺もそうなんだけどさ。それは桑田君も同じかな? 桑田君は今、話したいことってある? 作品についてだけじゃなくて、いわゆる陶器のマーケットじゃないところに入っていっちゃってる違和感なり、あるいは安心感なり、どんな風に思ってるのかな?

桑田マーケットについては、小山さんのところで展示させていただく前は、現代陶芸のやきもののギャラリーでやらせていただくことが多かったので、価格の面とかも含めて全然考え方が違うということは、ちょっとずつわかってきた感じです。やっぱり自分が一生懸命つくったものに対して、周りの器と一緒に、これくらいのお茶碗だったら3000円とか決められたり、これ以上値段を上げてはだめみたいに言われることに対して、ちょっと違和感があったので、小山さんのところで展示させていただいて、最初の頃は小山さんにアドバイスをいただいて値段を決めたりしたんですけど、その感覚はすごく好きでした。

イサム・ノグチが勅使河原蒼風に依頼されて制作した草月会館の石庭「天国」を会場に、2015年に開催された「桑田卓郎」展 © Takuro Kuwata Photo by Kenji Takahashi

奈良(ウェブの画像を見ながら)これは草月会館[★1]での展示?

桑田そうですね。こっちはアリソン・ジャックスというロンドンのギャラリーでの個展なんですけど。

奈良これは陶芸の森でつくってたやつだね。ちょっと浮かせたらいいって言ったんだよね。

桑田はい。浮かそうとしたんですけど、安定が悪いって言われて却下になっちゃったんです。

奈良ああ、でもいい感じだよ。

桑田浮かせたら、ギャラリー空間に入った時にもう一要素増えるよって、奈良さんにアドバイスをいただいたんです。

奈良そういう話を、レジデンスだと日常的にできるんだよね。大谷君とも雑談したり、コーヒー飲みに行ったりしながらいろんな話をして。

村上桑田さんの作品は、コンセプトはなんなの? 俺、コンセプトがわからなくて、超バカにしてるんだけど。

桑田(失笑)。

村上いや、マジで。ピカピカしてれば売れるからってやったのかなぁとか。もちろん今、わざと言ってますけどね(笑)。なにかないですか?

桑田そうですね、もともと器や茶碗をつくるのが好きだったんですけど、そこから見つけるテクスチャーとか、焼けただれてきたりとかの変化に、自分の感覚が出るようなところがあって、それが自分に合ってるというか。

アリソン・ジャックスギャラリーで2016年に開催された「桑田卓郎」展展示風景 © Takuro Kuwata  Photo by Andy Keate Courtesy Alison Jacques Gallery, London

村上たとえば、僕が桑田さんをキュレーションしようとすると、できないんですよね。理由は、文脈がよくわからないから。現在の日本においてこういったものが存在して、それは前人未踏のものかもしれないけど、でも根底にはお茶の文化とかもありそうだし、そこからジャンプアップして、いみじくも草月流の草月会館で個展をやられたっていうのは、ある種昭和のアヴァンギャルドという懐古趣味的なものをベースにしているのかなとか、僕の中ではいろんな組み合わせがあるんだけど、なんかいまいちはまってこないんですよ。戦略というか、外国の人に見せる時に、ただ面白いだけじゃなく、どのへんを活動の必然性として訴えてるのかなって、すごく気になっていたんですよね。

 なにが言いたいかというと、桑田さんや大谷君は、陶芸家独特のしゃべれない感じがあるかもしれないけど、僕も奈良君も、最初は別にコンセプトがあったわけじゃないんですよ。なにをどう説明していいかはわからないけど、いろいろもまれて、聞かれて口から出まかせで言ってるうちに、だんだん言った言葉に自分が啓発されて、ほんとにそうなのかなって自分で考えて、っていうように、ある種の洗いざらしをして打ってくれる現場があり、僕らもそこに飛び込んでいったわけですよ。桑田さんの作品が今うけているのは、やっぱり時代の必然性があって、買ってる方のシンパシーが強いからだと思うんですね。だって、桑田さんの作品は安くないわけだし。だけど、作家側もその面白みみたいなものだけをどんどんやっていくと、結局は生き残れないんじゃないかと僕は思うの。僕や奈良君がいつも反省して、その反省をもとに今生き残っているとすれば、そのポイントって、たぶんニュー・ペインティングの頃だよね。

奈良たしかに。

村上ニュー・ペインティングの頃の人は、人々にうける面白みにどんどん賭けていって、結局、みんな総崩れになっちゃった。バスキアは崩れる前に死んだので、彼とキース・ヘリング、あとはアンゼルム・キーファーがナチズムとか東西のドイツ、ヨーロッパ、アメリカの問題を上手くくるめることによって生き残っているけど、やっぱりデビッド・サーレとかのアーティスト達はいなくなっちゃったわけですよ。面白みを全面に出していくと、コンテンポラリー・アートの世界では生き残れないんだっていうひとつの症例を、僕らは見てたんだと思うんですね。ゆえに、そうならないように、あの手この手で戦略を立てて、物語というか話をしたり、作品の方向性を決めたりしながら生き残ってるんだけど、僕は桑田さんの作品を見ると、ある種ニュー・ペインティングの頃のような面白みに賭けていて、それがマックスまで達した時に、ある日ある時飽きられるんじゃないかな、という危険性を見るんですよね。そのへんは考えたりすることありますか?

桑田なにか具体的に考えているという感じではなくて、たとえばアートフェアを見に行くなどして、自分にはなにができるかなって、ちょっとずつ考えている状態です。

奈良素材派、素材主義っていうか、素材があることで作品をつくっている、作品が成立している人達が結構いて、それは京都市立芸術大学の彫刻科に多かったと思うんです。たとえば中原浩大という人は、素材をどんどん変えていくんだけど、素材ありきのものをつくっている。名和晃平もたぶんそうだと思うんだよね。この素材でなにができるかって考える。それと非常に近いものを、自分は桑田君に感じてたの。ガラスっぽい長石の釉薬とか、まず素材があって、それをどう見せるか。わりと彫刻として俺は見てたんだよね。だから最初は、なんで茶碗にこだわってるんだろうって思った。

村上それは、奈良さんが言ってた、「なんで僕はここに穴を開けたんだろう」っていうのとまったく同じ理屈なのかと思ったんだけど、そういうわけじゃないの?

奈良桑田君も、だんだん穴がつまって、なくなってきてるよね(笑)。

桑田穴をつめたくなったっていうか、はい。

困った時の自分ヒストリーが強みに

村上僕ね、ちょうどローズマリー・トロッケルという作家の銀色の陶芸作品を持ってるんですけど、その作品にどういうコンセプトがあるかはよくわからないの。しかし、他の作品を見ていて、彼女が考えているアートのヒストリーの中でのなんらかの必然性があるであろうがゆえに、今、目の前にある面白みのある陶芸作品を買ってもいいかなと思ったんです。つまりローズマリー・トロッケルが生きてきたアーティストの人生そのものも込みで買っている。じゃあローズマリー・トロッケルは何者かというと、画集を数冊見た記憶でもって、彼女なりにアートとこの世の中のずれみたいなものをつなげようとしてるのかなと。アーティストは言葉にできないから作品をつくっちゃうところがあるので、桑田さんもなにかそういうものがあるとは思うんだけど、しかし、作品が売れるという状況に甘えていくとどうなんだろうという気もしないでもない。同じようなことが、大谷君や上田君にもあって、大谷君は今回の展覧会で、結構言葉の部分でやりとりしたんですよね。ちょっとしゃべってください。

大谷工作室 Photo by IKKI OGATA

大谷この前の展覧会では、僕はなんで今のような作風でつくってるのかな、みたいなことを考えながらやったんですけど、そこに至るまでには、昔彫刻を勉強していた時に感じていた気持ちが大事なのかもしれないという僕の一言を、村上さんが拾ってくれたことが大きかったんです。ものが大きくなって、でこぼこが増えてきて、立体的になってきてっていう最初の感覚が大事だなと。でも、展覧会は、ただ作品をつくっただけやったら、広い会場を埋められへんと思って、なにかしないといけない、中味を考え直そうと思っていました。普通の彫刻の学生のような作品では面白くないだろうから、陶芸で作品をつくってきた、その陶芸っぽい形をより意識しようと考えたんです。無垢でつくって穴を開けて焼いた作品もあったし、紐作りで陶芸の壷をつくるように制作したものもあったし、その形によって雰囲気が変わってくるんですよ。技術的にはそういうことを考えた展覧会だったし、彫刻を勉強していた頃の気持ちを思い出してやった展覧会でした。みんながいいねって言ってくれたのは、陶芸と彫刻が一緒になったような、土が傾きながら、でも形をつくっている作品が多かったので、そこになにかあるのかなって思っています。

Kaikai Kiki Galleryで2016年に開催された大谷工作室「僕が17歳の時、ジャコメッティの話を美術の先生に聞いて、彫刻に憧れて、僕は今、彫刻を作ってます」展示風景 Photo by Kozo Takayama

村上僕は、うちで作品展をやってもらう作家さんとは、プロデュースというわけではないんですけど、結構問答していくんですね。その過程で、困った時の自分ヒストリーというのが鍵になるんです。たとえば、うちのMr.という作家は、お兄さんが高校の時に家庭内暴力で、バットを振り回してお父さんとお母さんをなぐり、近所の人が警察を呼んで、そのまま精神病院に入って10年間幽閉されていたんですよ。それと、Mr.はツッパリのヤンキー文化がすごい好きなんですけど、日本の田舎におけるドグマって、デヴィッド・リンチの描くアメリカの田舎のドグマと同じように、かなりドロドロして深いわけです。そういう過去や環境があって、彼はロリコンなんです。人間的なよるべがなにもない、反発としてのロリコンというかね。お父さんが樹脂の成形をする仕事をしていて、シンナーを吸いまくってて、25歳から定年する62歳まで、給料が14万円でずっと変わらなかった。それでもずっと働いていたという話もあったりして。そういうそれぞれがもつ自分史を、もう1回自分に問いかけて掘り起こしてみたらどうかなと、うちのアーティストには繰り返し言うんですよ。じゃあ、僕にそういう自分史があるのかというと、ほぼなくて、自分がないので、逆に他のアーティストのマネージメントをして、人のストーリーを食べてるような作家なんですよね。

 大谷君も、初めて会った時に、「僕は那覇の大学に行ってました」という話が出て、その美術大学でもやもやしていたことがすごく大事なことなんじゃないかなと思ったし、名前に工作室ってつけた理由もそこにあるだろうと、今回繰り返し問いかけてみたよね。それで、大学の頃に戻った気持ちをリマインドしてみたらどうかなっていうところで、ああいうタイトルになっていったんだと思う。

奈良それで、那覇にもう1回行ったんだ。そっかぁ。

村上奈良さんはしたくない話もいろいろあるだろうけど、僕は奈良さんと全然交流がなかった時に、偶然ロサンジェルスで、3ヶ月間一緒に住まわされちゃったことがあったんですよね。

奈良入口と居間が一緒で、寝る部屋だけが違うっていう教員住宅でね。

村上そういう関係の中で、ご家族の話とかいろいろ聞くとはなしに聞いていって、やっぱり彼が描く、かわいらしいものがナイフをもったりFuckとか言ってたりするのは、一方には彼が関わってきたアメリカやイギリスのロックミュージックのヒストリーがあるんだけど、一方には青森の田舎のドグマっていうのががっつりあって、しかも彼の家族の構成における壮絶なドラマがあり、それが一見軽々しい表現として跳躍してるわけですよ。その跳躍が、見る人が見るとわかるというか。そういう意味において今の彼のスタンディングポジションがあるということを、話をしながら理解して、それでもう1回作品を見ると、よくここまで飛べたなと、奈良さんの作品が感動的に僕の中にぐっと入ってきたんです。で、作品を買えば買うで非常に味わい深かったりと、いくつかの点でよかったりするんで、奈良さんの作品は今でもポピュラリティをもっているんですよね。でも、その大事な話はどこにも話していないよね?

奈良話してないと思う。

村上それを、僕はたまたまそういう関係があるから知ってて、ぐぐっときてるけども、たぶん桑田さんも、こういうぐちゃっとした表現が出てくるというのは、絶対なにかあると思うんですよ。自分ではまだ発見していないかもしれないけどね。でも、芸術のとくに現代美術の世界においては、そういう自分史とそれを取り巻く文化的背景を、批評家が発見できるレベルで作品に付着させて拾ってもらう、もしくはトークで表現することでもう1回拾い直してもらうとか、なにかしらのコミュニケーションをしないと、やっぱりわかってもらえないですよね。日本人が大好きなゴッホや、最近だとヘンリー・ダーガーはいいほうの例で、芸術というのは作品がすべてで、発見されるのは死んでからでもいいじゃないかという話は根強くあるけど、それは億分の1くらいの確率で起こることで、ほとんどありえないわけですよ。やっぱり、自分が表現者として世間に対してなにかを伝えたいというのであれば、それなりのコミュニケーションのプロセスが必要なんじゃないかなと思う。なので、桑田さんを壇上に上げてしまいました。以上、自分の言い訳を言わせていただきました。

奈良いや、誰もがいろいろなものをもってると思うよ。

村上ほんとにそう。今まで経験してきた中で、僕が関わっていいなと思うアーティストは、ほとんど8割か9割くらい、家族がぐちゃぐちゃなんですよね。それはやっぱり、そういう自分史の中のドグマを解消することができないがゆえに作品をつくり始めているからで、それが評価されきったら、もうその作家はこの世に必要なくなっちゃうだろうし、評価され尽くせないくらいの深いドグマがあるかないかというのは、別に勝負所ではないんですけど、大きなポイントかなと感じています。僕は桑田さんは、ここまでいろんな形で生き残っていて、今回ギャラリーも変えたりしているし(現在はKOSAKU KANECHIKAに所属)、いろいろ考えてるのかなって思ったんだけどね。

桑田ギャラリーを変えるという意識はあまりなかったです。金近(幸作)さんには、小山さんのところで僕の最初の展覧会の時から担当していただいていて、展示も価格も含めて、ずっと一緒に相談してやってきたので……。

奈良金近さんのギャラリーはサイトのトップページがあるそうです。

村上ギャラリーは来年の3月オープンということですので、みなさん、金近さんのところで、桑田さんの作品を買いましょう!

桑田突然で、緊張してしまいました。

村上ごめんなさいね。僕も突然呼び出した責任で、桑田さんの作品のアングルを考えますね。

奈良俺、いいなって思うんだけど、作品は持っていないんです。

村上本人がまだ、歌声がいいだけの歌手みたいに見えるんですよね。やっぱり、演歌じゃないけど、どこで人生を引っ張り出せる力をもてるかっていうのが、表現者のすごく大事なポイントで、そういうことはギャラリストとの対話だけでは無理だと思うんですよ。

奈良うん。ギャラリストとしてすごい人でも、その人が人間としてすごいかっていうと、また別だしね。

村上僕は、桑田さんの草月会館の展示はすごくいいと思ったんですよね。なにがいいかっていうと、作品自体じゃなくて、草月会館でやるっていうコンテクストがいい。勅使河原蒼風さんという華道界の人がつくったスペースの中で展示するというね。

奈良草月会館は、1960年代前後にアメリカの前衛芸術や現代音楽の企画をやっていて、ラウシェンバーグのイベントの時には、まだ芸大の学生だった篠原有司男が質問したりしてるんだよね。

村上そういう場所の中の、さらにイサム・ノグチというオルタナティヴな出生をもつ人間がつくった石庭に置くっていうのは、非常に文脈としていいなって思って、あの展覧会がすごく気になったんです。で、スタッフに見に行ってもらって、写真撮ってこいって、スパイさせました(笑)。「何個売れてた?」とか聞いたりして。

 じゃあ、こんな感じですかね。おふたりともありがとうございました。

(会場拍手)

世界の中で闘っていくということ

村上南條史生さんと小池一子さんがいらっしゃるので、次は現代美術サイドの方々を呼び込んで話していただこうかと思います。小池さん、いた! 拍手~。いえい! 南條さんも、五百羅漢図展をやってくれた仲なので、ぜひお願いしますよ。(会場拍手) ギャラもなにも発生していないのに。ひどいですよね。

写真左から小池一子、南條史生、奈良美智 Photo by IKKI OGATA

奈良僕もギャラはもらわないんですよ。

村上だって、いらないって言ったからですよ(笑)。この後飲みに行きましょう。

奈良美術関係者は知ってらっしゃると思いますけど、江東区の佐賀町に食糧ビルっていう建物があったんです。その3階にちょっと変わった広大な、日本風じゃないスペースがあって、小池さんはそこで佐賀町エキジビット・スペース[★2]という場所を設けて、画期的な展覧会をよくやっていたんです。村上さんが見て、美術をやろうと思ったのがキーファー展だったっけ?

村上違う違う、大竹伸朗展(笑)。

奈良あ、ごめん! 大竹伸朗展を見て、村上さんはそれをキーファーだと思ったんですよね。

村上それも違って、『美術手帖』に載っていたキーファーの作品を大竹さんの新作だと思ったんですよ。同じ建物の中に、小山登美夫ギャラリーもあったよね。

小池一子そう。奈良さん、あそこのバルコニーでいつもコーヒー飲んでたわね。

奈良そうでした。あの頃は暇だったんだよね。で、小池さんは、現在は十和田市現代美術館の館長さんになられて、3月に村上さんがキュレーションする現代陶芸の展覧会を予定していると。

小池「現代陶芸考」展です。

村上よろしくお願いしま~す!

奈良そういえば、食糧ビルって、米の籾から芽がキュって出てる模様が飾りとして付いていましたよね。

小池深川の倉庫群の中にある、昭和2年、1927年に建った建物でね。柱がなくて、床がしっかりしてて、天井高がある空間でした。そこを小柳敦子さんと見に行って、やろうと決めた。私、あの建物がなかったらやってなかったと思うんですね。商売をするギャラリーでも、美術館でもない、もうひとつの選択っていうものに夢中になっていた時代でした。今プロジェクションいただいているのは、森村泰昌さんと逢坂恵理子さんのトークの時の写真ですね。

佐賀町エキジビット・スペース Photo by Kozo Miyoshi

奈良逢坂さんは、南條さんがICA名古屋というところにいた時に手伝ってた方で、水戸芸術館を経由して、横浜美術館の館長さんになった人です。南條さんは、六本木の森美術館の館長さんをされていて、その前もいろんな国際展のキュレーションをされていた人です。

南條史生ICA名古屋はスタッフも2、3人しかいなくて、もうひとりが児島やよいさんだったんです。

奈良その児島さんは、今期から十和田市現代美術館の副館長になったんですよね。この写真は、今はギャラリー小柳を運営されている小柳さん。

南條小柳さんもここで働いてたんでしょ?

小池そう、私達は小さな企画の事務所をやっていたので。

南條そこで杉本博司さんと出会ってるんだよね?

小池そうそう。ここで杉本さんを担当したら、ふたりが恋に落ちてしまった。

奈良それは知らなかった。

小池そう? 青山3丁目の交差点で告白された。小柳さんって、陶器屋さんの娘だから、お父さんがとっても厳しい人なんだけど、「商品に手を出しちゃいけないんですよね」なんて言うから、なにを言いたいのかと思ったら、自分の担当したアーティストに惚れ込んで(笑)。今はふたりともすごく活躍をしてますけど。

奈良本当に歴史的な展覧会がいっぱいあったと思います。建物の老朽化と重なって、終わったんですか?

小池やっぱり経済的なものですね。がんばりました。

村上僕、大竹伸朗展のカタログをくさるほど見たもの。ほんとにボロボロになっちゃったんで、3冊ありますよ。

小池村上さんは日本画をやってらして、とても熱心に見ていて、大竹さんを見て現代美術をやろうと思ったっていう話は、村上さんの口からは聞いていないんだけど、すごく記憶に残る言葉でした。大竹さんもそう思っていましたよ。でも彼は、「村上君は僕のことを批判してるらしい」って。

村上いや、日本のアーティストのインターナショナルなサーキットにおける立ち位置や文脈を説明しようとすると、たとえば奈良さんだって僕だって、デビューの頃は模倣はいろいろあるわけですよね。でもその模倣から自分のオリジナリティを探っていくプロセスの、模倣の部分を僕はたまたま見ちゃって、それを面白おかしくキーファーと照らし合わせて話したのが、聞き方によっては批判に聞こえたんだと思います。でもそうではなくて、あの頃の日比野克彦さんや日本グラフィック展とかが、バスキアとキース・ヘリングとシュナーベルらにものすごい触発されて、一気に盛り上がった時期があって、そういう沸いてたところに僕も奈良さんも入ってきたので、別に恥ずかしいとか批判とかいうことではないんですよ。むしろその状況を詳しく説明することによって、あの頃の日本の文脈がしっかり形づくられるんじゃないかと思っているだけなんですけどね。

佐賀町エキジビット・スペースで1987年に開催された「大竹伸朗展 1984–1987」展示風景

南條さっきもそういう話が出たけど、僕はそれはすごい重要な話だと思うんだよね。とくに欧米の場合は、明確にテーゼがあったらアンチテーゼが出てきて、そのうちそれがテーゼに変わるみたいに、弁証法的に物事が進化していくわけだよね。だからつねにドナルド・トランプのような大統領も、自分はこうであるということをガンと言うわけじゃない。それに対して、相手もこうであるってちゃんと言う。そういう位置関係の中で物事が進んでいくんだけど、日本人はそれがすごく苦手なわけよ。なんとなくなあなあで言う雰囲気が強いからさ。

奈良日本の人はディスカッションがすごく苦手ですよね。

南條ディスカッションも苦手だし、コンテクストをはっきりしようと言われても、みんなあまりはっきりさせたくないんだよね。そういう文化なんだよ。だから海外に出て行くと弱いところがある。

奈良出る杭は打たれる風潮もすごいあって、外に出ない時は応援してくれたりするんだけど、出ちゃうとそれが急に批判に変わったりする。

小池やっかみとかね。

奈良そうそう。「えっ、なんであいつがそんなこと言ってたの?」みたいなことがあったり。

小池村上さんが小山さんのところで出てらっしゃった頃に、カーネギー・インターナショナルに南條さんのキュレーションで選ばれて、ちょうど私もピッツバーグにマットレス・ファクトリーの展覧会で行っていたので、村上さんが会場の壁にじっくり障壁画を描いているのを見たんですよ。ほんとぞっとして感激した。

村上それは初めて聞いた。いい話ですね(笑)。

小池今まで蓄えていらっしゃった力が、現代美術と言おうが言うまいが、すごい勢いで花咲いたのを覚えています。

奈良そういう話を聞くと、闘っているイメージが僕は思い浮かびます。ちゃらんぽらんじゃないっていうか。でも、世界の中で自分の足場を築いて、地位もつくっていくっていうのは、そういうことじゃないかな。それがすごい現れてるなって思って。やっぱり遊びじゃないし、楽しいだけじゃない。それはあたりまえのことなんだけど、いったん楽しいところに行っちゃって、その楽しさの中にいると楽だなって思う気質も、日本人の中にあると僕は思うんですよね。でも、もっと制作において自分に厳しくなったらいいんじゃないかって、若い作家の人とかと話していると、いつも感じてて。

南條アーティストで生きていくっていうのは大変だろうね。自分はこうであるというものを、新しいやり方で出すわけじゃない。でも、それが否定されたら全否定されることになっちゃう。だから、意見をはっきりして生きるってすごい大変なことだよね。だけど、ある意味それを自然にできるからこそやってるんだと思う。

SNS時代に陶芸がフィットするという仮説

村上最初に言いましたけど、僕、奈良さんとトークショーをやりたいと思ったのは、現代陶芸の立ち位置について話したかったからなんです。たとえば僕や奈良さんがデビューする頃は、マンガとアートをコンバインするものってあまりなかったんですよね。大竹さんももちろんそういった文脈ではあったんだけど、ニューヨークのニュー・ペインティングの要素がすごく強くて、それがちょっと脱色してきたのが僕らのジェネレーションだと思うんです。で、それはそれで一段落して、今、世界的に見ても、セラミックがびっくりするくらい浸透してきている。

小池昔、佐賀町でも「clay art ’88」という大きな展覧会をやりました。小柳さんが担当して、みんなかなり勉強したんですけど、セラミックはやっぱり魅力のあるものなのよね。私、八木一夫さんのところに行きたくて、京都でだいぶくっついていたことがあるんですよ。さっき、生きのびてきたとおっしゃっていたけど、たとえばあるウェイブがあって、そこでガッと出てきた人達の中で何人が残ってるかっていうのは、ずっと歴史的に見える風景ですね。

奈良深いなぁ。

佐賀町エキジビット・スペースで1988年に開催された「clay art ’88」 展示風景

村上でね、さっきの話を続けますけど、このあいだZOZO TOWNを運営されている前澤(友作)さんとご飯を食べて、その前に彼の会社を見学させてもらったんですね。そうしたらショッキングな事実がひとつあって、前澤さんのところの社員は、役員以外給料が全員同じなんですって。仕事ができようができまいが、全員フラットだと。僕、自分でスーパーフラットって言いましたけど、そこまでフラットになるとは思わなかった。ゆとり教育において、全員がギャグのように横一列になってテープを切らなきゃいけないとか、優劣をつけちゃいけないとかいう発想が極まると、給料までフラットにして、それでみんなが気持ちよく働けるんだって驚いた。会社を見ていたら、別に社長にも尊敬とかはないし、社長がいようがいまいが関係ないわけですよ、フラットだから。仕事ができない人は自分達で助け合うとか、SNSのあり方を見ていてもそうであるように、非常に思想的にもフラットな感じになっているんです。

 そんな中では、セラミックが芸術のあり方としてフィットしてるのかな、という仮説を僕は立てて、セラミックが現代美術のひとつのカテゴリーとして、今後バーンと出てくるんじゃないかと思ったんですよ。なぜかというと、ネット文化が盛んなサンフランシスコとかでは、アートのコレクターでない人達もグラフィティは大好きだから。ようするに、彼らは高額なものが嫌いなんですね。高額である、つまり社会の中でプレステージを決めるという行為そのものが嫌なわけ。なぜなら、彼らがつくったネットの社会では、フラットネスにしていかなくてはいけないという大きなテーゼがあったから。その意味において、フラットな社会が出来上がった後に、それでもやっぱりお金持ちとそうではない人達が生まれてくる中で、自分達のコンセプトを揺るがせないまま芸術をたしなみ、アクセスするいい方法はないだろうかと、みんなが探しているような気がするんです。そういうところに陶芸ははまっている。

 うちのギャラリーは特殊で、お客さんは外国から来る人ばかりだったんですけど、今回の大谷君の展覧会は日本人のお客さんがほとんどで、初めて日本のニーズとジャストミートしたんですよね。これまで僕には、ゆとり世代がネガティブにしか見えなかったんですけど、ZOZO TOWNのでっかい倉庫で、給与が一律の1800人もの人達がものすごくきびきび動いているのを見て、SF的な世界が僕の知らなかった不思議な形で展開しているなと思ったんです。天才的な経営者が、現代の社会的背景まで全部汲み取ってビジネスに変えていて、その社長が現代美術に触発されているというのは、非常に面白いなと思って。でも前澤さんの世代じゃなくて、もっと若い世代がセラミックに芸術性を求めているんじゃないかという仮説を、このトークで話してみたかったんですよね。

陶芸の重力圏から逃れ、新しいジャンルの確立へ

村上覚えているかどうかわかりませんけど、昔、エヴァンゲリオンがテレビでやってた時に、南條さんに、「エヴァンゲリオン見てください!」って言ったんですよね。「それはアニメだから面白いかもしれないけど、僕が見ても面白くないんだよ」って言ってましたけど(笑)。

南條いやぁ、今のセラミックって、究極の共産主義みたいな感じがするんだけどね。

村上そうですね。

南條究極の民主主義と言ってもいいかもしれないね。両方ともあると思う。でも、セラミックだけなのかな。工芸的なものっていう意味だったらどうなの?

奈良最近、アートフェアを見たりすると、あきらかにセラミックでつくられた彫刻が多くなってるんです。それは器とかじゃなくて、彫刻としてセラミックを素材に使っている作品がすごく多い。自分も出していたし、他にも出してる人がいっぱいいて、なにか傾向があるのかなと。

小池さっき村上さんが、新しいジャンルをつくる意識って言ってたけど、それは私はすごく響きました。今までだって、日本の伝統の中とか、お茶の世界とか、それから日用品としてお茶碗を使ったり、そういうところでなにか新しいことをしようとはしていたと思うんだけど、今起きていることは、新しいジャンルの開拓になるのかなと思って。それで、これはちょっと聞き捨てならないと思って、今日も無理して来ました。

南條アートの人がセラミックを使うというアプローチと、陶芸をやっていた人達が新しいことをやろうとし始めるということの、この違いはどう見ているの? 違いはあると思う?

村上ありますね。僕は日本のアニメーションの業界の人達と仕事をしていて、同じことを考えているし、僕の中で反芻しながら考えなくちゃいけないことがあるんです。やっぱり陶芸の世界の人々は、今自分が立っている場所の気持ちよさを捨てきれない、捨てたくないという気持ちがすごく強くあると思うので、それを跳躍しようとしても、陶芸という世界の重力圏からは逃げられないような気がします。大谷君という彫刻の世界から来た人を、その重力圏から脱出させようとしてもすごく難しかったし、さっき奈良さんがいみじくも言っていた、なぜか知らないけど上に穴が開くっていうのは、あれは表現としての陶芸の重力だと思うんですよね。桑田さんもその重力の範疇にいたけど、たぶん草月会館でやる時に、その重力圏内では勝負できないと気づき、ある種のアヴァンギャルドとはなにかということを考え出したりして、ああいう風になったと思うんですよ。でも、陶芸の世界の人が現代美術的なものをやろうとした時には、捨てなきゃいけないリスクがあまりにも大きいんです。やっぱり陶芸の世界の人達はライフスタイルから入ってくる人が多いので、そのライフスタイルは絶対に捨てないと思うんですよね。僕らの世界は、非常に世知辛いライフスタイルをとらざるをえないので。

奈良たしかに、ライフスタイルから入るっていうか、陶芸を陶芸道、道みたいに考えて、すごい宗教的に入ってきますよね。とくにそれは外国の人が多くて、日本に修行にきてる外国の人は作務衣を着たり、「菊練り何年」っていうTシャツを着たりとか(笑)、陶芸に東洋の美意識をすごく感じてる。彼らが思っていることは、日本人が思っているよりも狭い世界の話なんだけど、魅力としては宗教的で精神的な、すごい大きな世界なんですよ。でも、僕はそれはちょっと違うんじゃないのかなと思う。100年前だったらどうかわからないけど、過去を懐かしんだり憧れたりしても始まらないし、もし本当にそう思うんだったら、世俗を絶ってどっかの山に籠もって、仙人みたいにやるしかない。でもそれだと暮らせないだろうしね。そういう自分の理想だけじゃなくて、もっと陶芸だったら陶芸自体の理想、絵画自体の理想を考えた時に、初めて未来に近づけるような気が俺はしてるの。だから、自分はその中で踏み台にされてもいいし、もしかしたら作品は残っていくかもしれないだろうし。でも結局は、自分自身のことを見ているようで、自分のやっていることの未来を信じてるんじゃないかなって、俺、自分のことのように言ってるけど、村上さんを見てると、ときどきそう思うことがある。

南條村上さんの話で思い出したんだけど、昔、カルティエ財団の美術館で三宅一生さんの展覧会があった時に、蔡國強さんがプリーツ・プリーズの上に火薬を置いて、火を付けて爆発させたんですよね。洋服の上に穴が空いて、焼け焦げたわけ。一部の人はその時に批判していたと思う。三宅さんのようなファッションの人が、ファッションを破壊するような表現をしたと。でも僕はその時に、一生さんは自分がなにを壊さなくちゃいけないかということを考えていたんだと思うんだよね。

小池プリーツ・プリーズのプロジェクトを蔡さんに頼むっていうことをつないだのは私です。今、南條さんがおっしゃった通りのことが起きましたね。

南條同じように思ったのが、アラーキーがやった時ね。アラーキーも一生さんが考えている美学とは相当違うわけだよ。だけど、あえてアラーキーと組んだっていうのがね。

小池私、ちょうど一生さんの本をまとめたところなんです。アラーキーは、一生さんからプリーツ・プリーズの企画を頼まれた時に、じゃあとにかく自分のなにが欲しいかを選んでくださいと伝えて、花って言ってくるかなと思っていたら、一番きわどいのを選んだので、やっぱり面白かったと言っていましたね。

南條だから僕は、その時一生さんはなにかを捨てて、先に行こうとしていたんじゃないかっていう気がするんだよね。

小池そうですね。

奈良オランダのステデリック美術館で一生さんの展覧会を見たんですよ。僕が見たのはひとつの到達点であって、なにかを捨てるところまで行く、その前だよね。だから、蔡さんがそういうことをしたというのは、僕はすごくいい話だなって思って聞いてた。だって一生さんは、だめって言うこともできたわけじゃないですか。

小池あれはやっぱり、プリーツ・プリーズっていう素材がメディアになって、なにをやってもいいって思ったんだと思うんですね。だから、アーティスト・シリーズのプロジェクトを最初に森村泰昌さんがやって、蔡さんがそれにとっても興味をもっていたので、カルティエでやることになったんです。全部連関してるわね。

村上なるほど。そんなところですかね。おふたりとも登壇してくださり、ありがとうございました。

(会場拍手)

器は近所の食堂のきれいなお姉さん

村上じゃあ、もう1組いきましょうか。うつわノートの松本(武明)さんと、Jikonkaの西川(弘修)さん、いいですか? せっかくなので大物ふたりが出てくれるとありがたいんですけど。いえい!

(会場拍手) 

写真左から松本武明、西川弘修 Photo by IKKI OGATA

奈良すごい! 1000円でこんなにたくさんゲストが!

村上ははは。みなさん、ぜひ陶芸を買っていってくださ~い。では、うつわノートの松本さんと、Jikonkaの西川さんです。Jikonkaでは現代陶芸と骨董を扱ってらして、三重県にもお店がありますが、東京は場所はどちらでしたっけ?

西川弘修世田谷区の深沢です。

村上というように、おふたりともお店をやってらっしゃる方です。奈良さんとの文脈とつなげるのは難しいんですけど。

奈良無理につなげなくてもいいよ。

村上僕は、おふたりからいろいろ勉強させてもらっていて、とくに大谷工作室さんの展覧会を松本さんが見に来てくれて、ご自身のFacebookで発表してくださったお考えが、非常に示唆的だなと思っています。松本さんの「遠くに行っちゃうんだね」っていう一言を見て、さっきの陶芸界の重力というものを感じたんですよ。やっぱりポイントは、陶芸という世界の重力圏内にいる、いないということなのかなと。さっきも触れましたが、小嶋亜創さんという、僕からすると松本さんが発見した陶芸家の方の作品集を今つくっていて、その本の構成を小嶋さんが気に入らなくて、ちょうど松本さんのところで展覧会をしていたので、場所をお借りして話し合いをもたせてもらったんです。

 そもそも、僕がなんで画集までつくろうと思ったのかというと、小嶋さんが「北の国から」を見て、そのライフスタイルに感化されて陶芸を始めているからなんですね。実はそれは僕の思い込みで、ほんとは違うんですけど、そういうエピソードがあったので、そこを主軸に小嶋さんのコンテクストを勝手に練り上げていったんです。で、ある時、小嶋さんの長野にある工房へ遊びに行ったら、お借りしたトイレに世界地図が貼ってあったんです。しかし、彼自身は長野から出たくないと言う。今も、東京で展覧会があっても1日とか半日しかいなくて、すぐ帰っちゃったりする作家さんなんです。
 
 でね、そういう中で、僕が小嶋さんをやろうと思った理由は、心の中は世界なんだけど、自分のいる場所はここ日本の長野県のとある村だっていう、日本にいながら世界を見る、江戸時代か明治時代のような考え方が、ある意味芸術をつくっていく上で広がりになる、すごく大事なものなのかなと思ったからなんです。そういう妄想で彼とやりとりしていたんですけど、この前話していて、やっぱり彼は、陶芸の重力圏内で物事を考えているのかなって感じたんですよ。そのひとつのきっかけをつくってくれたのが松本さんの言葉なので、松本さん、なにか話していただけますか。

うつわノート。陶芸家・小嶋亜創の2016年の個展風景

松本武明うちは、いわゆる生活食器というか、普段使いの器を中心にやっているんですけど、自分にとって器は、すごく生活とつながった、リアリティがあるものなんですね。一方のアートというのは、自己表現や思想を競うような非現実的なもので、テレビの向こうにいるきれいな人。でも器は、そのへんの食堂にいるきれいなお姉さんというか、もしかしたら自分が一緒に添い遂げるかもしれない相手のような、非常に現実感のある世界の中にいる。日本の美意識というのは、そういう生活と密着した中にあって、器の文化はそこで培われてきたものだし、むしろそっちのほうが美術なんじゃないかなと思って、それで器を扱っているんですね。自分にとっては命を救われるような存在であったし、非常に包容力がある。なぜならそれは、自己表現よりもまず、従属的なんですよね。使われるという用途があるし、形は人間サイズであるし、そこに料理が盛られて、美しさを求めるという。ある種のアートは、ルネサンス以降、神を無視した、人間を主張する表現になっているけれど、器は、やはり日本が培ってきた、木や石や海を崇める自然信仰のような文脈の中にあると思っているんです。

 さっきライフスタイルから入るという話がありましたが、最近は、そういう生活食器に根ざそうとする作家が増えていまして、僕は、大谷君は彫刻をやっていたんだけれども、そういう器の文脈にリアリティを感じて、陶芸という手段を使った彫刻をやっていたんだと思うんですね。実際、発表していたギャラリーも生活向きのギャラリーばかりですし、来る人も目線は同じ人で、買う人とつくる人の生活感や経済感も非常につながっている、そういう中で彼は活動してきた。で、村上さんの目に留まって、今回のような大きな作品にいったわけですけども、僕は、そのアートという文脈の中に、そういう生活とつながったアート作品をつくってきた人が変容していくっていうところに、非常に興味深さを感じたんです。それがどうなっていくのかと。
 
 日本の陶芸でアート的なものというのは、もうちょっとアカデミックな領域で、美術館でやっていたり、伝統的な抹茶碗の世界であったりで、そちらはジャンルが確立されているんだけれども、今、2000年以降に起きているような、いわゆるライフスタイル型の陶芸という世界が、美術館とか、何百万円という値段で売り買いされる市場に出た時に、はたしてそこが、うちのようなお店ともつながってくるのかということを、非常に興味深く思っているわけなんです。そういう意味で、遠くに行ってしまうというのは、自分の経済圏と離れてしまうというか、対象としているお客さんとは離れてしまうということに、ちょっとした寂しさを感じているということなんですよ。まぁ、応援するつもりもありますし、ひがみっぽく見るところもありますし、そういう見方をしていますね。

村上Jikonkaさんは、去年でしたっけ、いろいろ買わせていただいたのは。

西川去年の「gallery’s eye」で購入いただいて。

村上そうそう。それも言ってみれば松本さん経由ですよね。松本さんがJikonkaさんを選んでいて、次にうつわノートでやった西川さんの古物展でいっぱい買わせてもらって、それではまったんでした。西川さんもこないだ、大谷君の結構高い値段の作品を買ってくださってね。画商さんとしては非常に厳しい価格設定もちゃんとご存じで、査定眼もあるし、僕に売っている骨董も適正価格というか、どちらかというと買いやすい値段だと思っていたので、そういう方が、松本さんの言うように陶芸のギャラリーとはまったく違う価格帯にもかかわらず、わざわざ見に来てくださり、買ってくださったというのは、ちょっと驚きだったんですけど。

Jikonkaの台北店

西川僕は、1999年からこのギャラリーの仕事をしていまして、生活に根ざした器をずっと取り扱っていて、アートのほうはまったくずぶの素人です。10年くらい前から、台湾のほうとお付き合いができて、3年前から台北にスペースをもって展開しています。器っていう現代陶芸は、もともと柳宗悦が「用の美」を唱えて、無名の陶工がつくったものが美しい、みたいな価値観が生まれたことから、価格設定も暗黙のルールがあり、統一価格で売られているんです。それが、海を渡ったらブランディングは作家に任せっきりで、僕が紹介した作家が別のギャラリーで別の価格で売られているというように、まったく手の届かない領域になってしまう。日本の陶芸のレベルは世界中でトップだと思うので、なにかもうちょっと作家の地位を上げる方法はないかなと思っていたところで、村上さんの活動を知り、日本の陶芸が海を渡って、アメリカのギャラリーなりで勝負しているっていうことに、まず興味をもったんですね。

 僕は去年、大谷君の作品を目白のFUUROさんで見させてもらった時に、素焼きの壺かなにかにペイントしたものがいくつか混ざっていて、「これは焼く意味があるのか」と彼に聞いたんです。その時はまだ陶芸家として見ていたし、僕はやっぱり、火の中で釉薬が溶けた偶然性とかがすごく好きなので、焼成後にペイントするものであったら、石膏でもなんでもいいんじゃないかっていう話をしたんですね。それで今回の展示を見に来た時に、案の定じゃないですけど、そういったやきものから離れた作品もすごくつくっていて、「ああ、そういう道に行かれたんだな」と思ったわけです。でも、展示された中で僕がいいなと思った作品が2点あって、ひとつは村上さんが買われた、ろくろ成形したけれど粘土がつぶれてへしゃげている、寝ているような子で、もうひとつは僕が買わせてもらった、壁面にあった、目のところに釉薬がたまり、それが泣いているかのように見える、ブルーの釉薬が掛かったものです。僕の器の価値観からすると高かったんですが、大谷君が一皮剥けたのを見て応援する気持ちもあったし、この作品にこの値段を払う価値は十分あると感じたんです。
 
 ギャラリーでは、現代陶芸以外にも骨董を扱っているんですけど、今までそのものを評価する時には、自腹で身銭をきり、買うか買わないかの一線でやっぱりいいなって思うと決めてきたんですね。その金額を出して評価するというのは、そのものを理解するためには必要な経験なので、今回この値段は高いと思いましたけど、価値はあるなと判断しました。FUUROさんでは、たぶん半分以下の値段でしたけど、その時はまだ、僕の中で大谷君の作品を受け入れるスペースがなかったんです。自分にとっての器は、やっぱり使うものだったり、鑑賞したりするもので、自分のどこのスペースに置けば様になるかをイメージして買うんですけど、そこまでいたらなかったので、安かったですが買わなかったんです。もしくは作品がいいと思わなかったのか、ちょっと僕もそこははっきりと理解していないですけど。そういう意味では、今回は、いろいろ含めて今後の活躍も期待できるので、評価させてもらったという次第です。

村上松本さんは冒頭で、陶芸という芸術に対するご自身の考えやお店のコンセプトをお話しになっていたので、すでに答えは言っているとは思いますけど、奈良さんや桑田さんみたいな活動は、全然自分とは関係ないという感じですかね。

松本もちろん、自分の生活空間にはとても入手できるものではないので、テレビの向こうにいる感じですね。

村上なるほど。

うつわノート。漆器作家・中野知昭の2016年の個展風景

松本いい悪いは別にして、美しいなと思っても、それは自分の中にはいないですね。だけど、僕は、村上さんが面白いなと思うのは、海外に向けてこういうものをリリースするのであれば、もっとアートらしい陶芸ってあるんですよね。桑田さんに代表される、非常にユニークなものがね。でもそこからは入らないんですよ。1000円、3000円くらいの小皿にすごくこだわるような作家さんのものを、自分の肌で感じようとして、どんどん入ってくるし、すごく買うし、でもちゃんと選んでいる。土着的な今の日本の陶芸の文化を、ちゃんと自分の足とお金で、魂を吸い取っていくように吸収していく。それを世界というマーケットに置こうとするのかなと、僕は大谷君の展示を通じて、今回感じたんですけど。

 でも、よくよく考えてみると、そういう土着的なものって、アニメとかマンガのように、日本で非常に深まっていった、とてもガラパゴス的な文化ですよね。そう考えると、今起こっている陶芸は、古典もぶった切って戦後の日本から生まれた、非常にリアルな文化だと思っているんです。いわゆる八木一夫さん的なアートピースもあるけれど、それは僕からすると、アートに対するある種のコンプレックスのような気がして、現代彫刻という文脈では古い。場合によっては、50年くらい前にすでに実現されているような造形であったり、思想だったりして。だから、村上さんが今の陶芸に着目して、それを世界に翻訳しようとしているところで、大谷君や上田さん、浜名さんを選んだっていうのが面白いなと。できればうちは器屋なので、その後に続く村田森さんとか、いわゆる器というフォーマットを守ったものがどこまで世界に通用するのか、アートと肩を並べられるのかが、非常に興味深い点ですね。

奈良生活で使う器は、身近な食堂にいるきれいなお姉ちゃんで、アートと呼ばれるものは、テレビの向こうのきれいな人っていう表現が、自分にはよくわかりました。昔、たしか『隣のお姉さん』っていうヌード写真集があって、エロとかよりも、すごい親しみがもてて身近に感じる人が出ていたのね。その中には、もっとヘアスタイルをどうにかしたらモデルになれるんじゃないか、違う世界に行けるじゃないかっていう、隣のお姉さんじゃなくなりそうな人もいて。で、もしかしたら大谷君っていうのは、隣のお姉さんだったんだけど、村上さんがいろいろプロデュースしたら、実はこんなにプロポーションよかったんだってわかる、みたいな感じなのかなって。俺、たとえがヘンだな(笑)。つまり、元は変わっていないんだけど、取り囲む世界が変わっていくと、隣のお姉さんじゃなくなって、今度は隣の人が取り囲めなくなっちゃう、そういうことがあるかなと思ったんです。

 それを作家本人も意識しちゃう時があるのね。自分の経験から言うと、紙にちょっと描いただけで、たとえば100万円とかになると、自分で見ながら、「これ、100万円かぁ」って意識する時があったんですよ。で、友だちのところに遊びに行って、友だちの子ども達とみんなで絵を描いている時に、自分はいいのができたら作品として発表したいなと思って描いても、「お、めっちゃいいのができた!」って思った瞬間に、子どもがその上にビャーッてすごい嬉しそうに描いちゃって。最初は、「こ、こ……」てなるけど、でもその時に、すごく勉強になったんですよ。やっぱ、失っちゃいけないものがあるなって。でも、それを失わないでいるのは難しいんですよね。大谷君とかを見てると、そういうことをわかりながら、成長していったらいいなって思う。とくにこないだの展覧会は、ちょっと違うステージに行ったと思うので。そこで満足しちゃう人もたくさんいるだろうし、逆にそこから息切れしてできなくなっていく人達もたくさん見てきたしね。そういう中で、やっぱり応援したいという気持ちが自分にはあったので、松本さんの言ってることがすごくよくわかりました。

村上じゃあ、西川さんに最後の一言を。

西川僕にまったく期待されていないと思って(笑)。

村上いや、そんなことないですよ(笑)。前に、この3人で中野でトークショーやりましたよね。僕にはおふたりは師匠筋なんで。

西川とんでもない。

奈良俺も、美意識についてすごく学ぶことが多い。アーティストと言われる人がもっている世俗的な考えを、ちょっと取っ払ってくれる時があるんですよ、上手く説明できないんだけど。

村上細かい文脈の話になっちゃいますけど、西川さんは、青木亮さんという、松本さんもたぶん一目置く、いや一家言あるかもしれないですけど、現代生活陶芸を牽引してきた方の展覧会をやられたりしていて、陶芸芸術の美が集約する、同じ風景を見ているんじゃないかなと思って、いろいろ話をさせてもらったんですね。お話を聞くと、自分と違っていたり、自分の思っていることも言ってくれたりして。西川さんのメインのお仕事は、奥様の服の販売があって、美的なライフスタイルとその生活の中にある美的で芸術的なものをいろいろと扱っていらっしゃいます。そんな中で、さっき身銭を切って買うのが自分の理解のプロセスだという話がありましたが、買う時はそう思って買うけど、買った後にしまった!とかは思わないですか?

Jikonkaで展示された、江戸時代の信楽の破れ壷

西川まあ、家計のことは考えますね(笑)。もともと僕が古いものを扱い始めたのは、現代作家さんの器を扱い始めるうちに、日本のやきもののルーツに興味をもったからなんです。やきものは韓国や中国から渡ってきたものなので、向こうのものを見ていると興味が沸いてきて、とくに中国から派生して南のベトナム、タイに渡っていったものがすごく好きになっていったんです。それと、つくる現場によくお邪魔するからわかるんですけど、現代作家さん達が苦労してつくられた作品は、そこまで大変な思いをしてつくっても、実際にはやっぱり陶器より磁器のほうが使いやすかったりするんですね。そうならなおさら、何十年、何百年後かに、「これが平成のやきものだよ」って骨董シーンで売られるような、そんな価値のあるものをつくってほしいと思っているんです。古いものを僕がもつことによって、作家が見に来て、そこからなにかインスピレーションを得たり、研究材料になればいいかなって。それで僕はアンティークを集めているんです。

 あともうひとつは、これはアートシーンにも言えることだと思いますが、やっぱり人がものを選ぶ時には、その作家の名前やいろんな他からの情報に左右されがちなんですよね。アンティークや、現代作家さんにも無名の方がたくさんいらっしゃるんですけど、そういう名前のないものがたくさんある中から、消費者が賢く自分の目で選んで欲しいと思っているんです。それで、うちでは古いものも新しいものも平行して取り扱って、名前もとくに出さずに並べています。そうやってみなさんにも選んで買っていただきたいなと思いますし、それが現代作家さん達の励みにもなるんじゃないかなと、いつも思っていますね。

村上おふたりのお店からは僕も買わせてもらっているんですけど、現代美術に比べれば全然安くて、1万円以内で何度でもかみしめられるような体験ができるので、ぜひお店に行っていただいて、そのときどきの作品を購入していただければと思います。ありがとうございました。

(会場拍手)

質疑応答コーナー

村上予定外の進行になりましたけど、以上ですかね。じゃあ、質疑応答をこの期に及んでやりたいですね。すごいですよね、この長時間。僕、最近トークショーをやると、ほんとに5時間とかやりたいんですよね。じゃあ、質問ある人はどうぞ。

質問者大谷さんに伺いたいんですけど、今回、ジャコメッティの名前を展覧会のタイトルに掲げていて、ジャコメッティと大谷さんの作品がつながったことが、個人的には面白いなと思いました。ジャコメッティのテクスチャーがずれにずれて、ああいった陶芸作品になったというのが、さらに新しい展開になりそうで楽しみだったんですけど、ご本人としては、今後もジャコメッティというコンセプトというか、テーマを一貫して続けていこうというお考えはあるんでしょうか。

大谷高校の美術部の顧問の先生がジャコメッティがすごい好きで、その先生にジャコメッティを熱く語られて、「いや、かっこいいな」と思ったのが、この道に入るきっかけだったなぁと思うんです。粘土でぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅってやって、そのぐちゅぐちゅがぐっとなる瞬間がすごい大事というか。だから、コンセプトと言えるかどうかはわからないですけども、なんかあると思います。

質問者では、テクスチャーというよりは精神的な部分でジャコメッティの存在を捉えているという感じなんですか?

大谷ジャコメッティさんその人っていうよりかは、ジャコメッティがすごく好きな、彫刻家である美術部の先生が……。

奈良が、ジャコメッティのことを大谷君にいろいろ力説して、「お、こんだけこの人がすごいと語る人は!」って、そこで初めて芸術家という人がいるということを知ったというか。だから、展覧会のタイトルのジャコメッティを、また違う言葉に代えてもいいんだよね。立体造形でもいいだろうし、なにに変えてもいい。そうやって、なにかと向き合って真摯に創造していく人に初めて出会って、それを一番身近にいた美術の先生が熱く語ってくれた。それで、ジャコメッティに対して、先生が見ているのと同じ視点が開けて、うわーってなったっていうことだよね?

大谷うん。

(会場笑)

村上素晴らしい。ほんとにそうね。じゃあ別の質問ないですかね?

質問者私は陶芸は初心者で、興味をもち始めたのはつい1ヶ月前くらいです。フランス人の友人が、日本の現代美術と陶芸の作家を紹介する本をフランスで出版して、そのトークイベントを東京で企画しました。フランスでは陶芸は地位が低く、美術のほうが高いと言われています。トークに参加した作家が指摘していましたが、ヨーロッパの文化では、動物の中でも人間は美しいものを愛でるなどの精神的活動ができるけれど、陶芸は他の動物でもする、食べることに結びついているから地位が低く、美術にはなりにくいんだそうです。でも、日本では生活のすべてに神が宿るという価値観があるので、日本人が陶芸を扱うと可能性が無限が広がるという話が出て、面白いなと思いました。また、私は写真のギャラリーの活動をしてきましたが、現代陶芸の作家さんと話すと、写真と似ているなと思いました。写真は陶芸とは違い、100年くらいの歴史ですが、用途があって生まれ、表現と結びつきました。写真も陶芸も用途というしばりがあるからこそ面白いんじゃないかなと思ったんです。このふたつの点について、なにか感じられることがあれば伺いたいと思います。

奈良日本のいろんなものに神が宿るという話はよくわからないけど、自分の場合は、きっとそれは生活の中で感じていることで、陶芸に関しても、買った時よりも、毎日使い続けていく中でだんだんきれいに見えてきて、買ってよかったなって思うようになるのね。たとえば街並みを見ると、どんどん新しいものが建って、時間が経つと汚くなっていくよね。でも、日本の古い街に行くと、古い建築は、時間が経てば経つほど、汚れも全部含めてきれいに見えてくる。それが、長年使っていた器とすごく似ていて、そういう美意識が日本人にはあるにもかかわらず、できた時が一番かっこいい建築が増えていくのは変だなぁと僕は思ってて、今その話を聞いていて、思い出しましたね。

 ふたつ目もちょっとよくわからないですけど、でも、自分が一番理解している得意な分野と比較して考えていくと、「あ、こういうことかな」ってわかってくるよね。音楽やスポーツにたとえてもいいだろうし、いろんなことにたとえて考えていくと、妙に共通項がいっぱい出てきて、納得できていくことはあるなと思います。

村上じゃあ、これで終わりにしようかな。畳の部屋では数名の作家の作品が置いてあって、床の間には奈良美智さんの作品が展示されているので、見ていっていただければと思います。奈良さん、みなさん、長時間ありがとうございました!

(会場拍手)

前編はこちら

脚注

★1 草月会館
勅使河原蒼風の創始したいけばな草月流の拠点として、またジャンルを超えた文化の発信基地として、1958年に設立。同年、勅使河原宏のディレクションで草月アートセンターが発足し、1960年代にはジョン・ケージをはじめ、音楽、映像、美術などの前衛芸術が活発に紹介された。現在の建物は丹下健三の設計で1977年に竣工。1階のイサム・ノグチの石庭「天国」では展覧会も開催される。

★2 佐賀町エキジビット・スペース
かつて廻米問屋市場として栄えた江東区佐賀町の食糧ビルで、1983年から2000年まで運営された、日本初の非営利のオルタナティヴ・スペース。ディレクターの小池一子は、発表の場が限られていた若手作家を積極的に取り上げ、森村泰昌、内藤礼、大竹伸朗、杉本博司らを輩出。展覧会やイベントなど現在進行形のアート企画が多数開催された。

構成=宮村周子