おたくと現代美術
おたくと現代美術をどのように融合させ、西欧式現代美術の世界へ軟着陸させ、普遍性を持たせるか。これが、私、村上隆のデビュー以来の変わらぬテーゼである。が、先のおたくの解説でも触れたように、創造的、先鋭的おたくはおたく文化の拡散を望んでおらず、かつ、ある種の日本の固有性をガラパゴス化を是とする思考もあり、村上の方向性には強い違和感を表出している。村上が行ってきたおたくと現代美術の融合プロジェクトは「スーパーフラット」 (渋谷パルコギャラリー、2000/ロサンゼルス現代美術館、2001 *4)、「ぬりえ」(カルティエ現代美術財団、パリ、2002)、「リトルボーイ」(ジャパン・ソサエティ・ギャラリーほか、NY、2005)等のキュレーションとともに自分の作品でも《プロジェクトKo2》や《HIROPON》、《My Lonesome Cowboy》等のフィギュア・プロジェクトを行い、大ひんしゅくを買ってきた。しかし裏腹に、西欧諸国の現代美術業界では「リトルボーイ」展は、アメリカ国際美術評論家連盟による、ニューヨークでの最優秀テーマ美術展賞を受賞し、フィギュア作品もオークションで高額で取引されるなど、村上の文化の融合と翻訳は西欧諸国では賞賛と感謝の念を持って迎え入れられてきた。
つまり、西欧にはおたくをもっと知りたい、おたくを翻訳して欲しい、というニーズがあるにも関わらず、おたく当人たちがこだわりを持って、そこへの返答や理念を拒否しているとも言えよう。ある意味、日本人がしばらく大事にしてきた「武士道」的な曖昧模糊としつつも日本人の魂、軽々しく暴かれてなるものか、という気持ちがあるのかもしれない。とにかく、現代美術業界内でのおたく文化の翻訳はまったく始まっていないレベルだ。
キャンバスに絵が描けるおたくの登場
今回の参加作家のうちで、一番驚くべき存在はおぐちだ。油絵の技術習得やゲームのプログラムには長時間の辛抱が必要で、故に技術的な分断点が2つのジャンルのクラスターにつながっていたのだが、ついに、そこを越境できる翻訳機能を持った作家が登場した。おぐちの絵は、一見ペンタブレットで描いたようなタッチで覆われているがそのペンタブ的な構造をリアルなキャンバス制作の現場で再現できる。これができるできないの差は大きい。今までこの世にいなかった才能と言えよう。
NaBaBaとひるきもおぐちとほぼ同じ世代だが、彼らのプロフェッションはゲームクリエーター。NaBaBaはアメリカのリアルシューティングゲームを研究し、日本のゲームの起死回生を切望し、インターナショナルなサーキットで今一度息を吹き返して欲しいと願う。写実的リアリズムの世界とアニメの融合点をゲームの世界に再現しようとしつつ、キャンバスに向かうときには、彼が夢想するゲームの世界観を油絵のテクニックで再現していく。ひるきの場合は、俗に言う、イラストレーション的テクニック。紙やキャンバスに細蜜な水彩画を描く。可愛い幼女と壊れて行く世界。ゲームの世界を構築する一場面をコンプリートさせている。
STAGの作品の内容はクラブシーンに加担している風体の女子達が絡み合い、けだるい日常を生きている。その様が魚眼レンズ風の歪みで画面内をうねり、西欧絵画的、一点透視図法風に仕上がる。サブカルから見たおたく、クラブシーンから接近したおたくという視点がユニークだ。それは彼が店長を務める、サブカルストアでの日常を想起させ、軽い完成度がむしろリアルに感じる。
JNTHEDは彼らより一世代上で、コナミでメカデザインなどをやりつつも、反社会的なことが正義であると、資本主義経済的な組織に属しながらも反旗を翻す。その態度表明をネットの世界で行っており、ある種のカリスマを獲得していた。しかし、仲間のイラスト界でのブレイクや、自分の方向性の抽象性とオタク同人誌業界とのギャップに苦しみ始め、アートの学習を本格的に開始。カイカイキキの扉をたたき修行生活をしているという変わり種。しかし、彼の状況はパソコン上での仕上げに慣れすぎてしまい、リアルなキャンバスへのトラックダウンに難渋している。
そしてMr.は、現在42歳。NaBaBa、おぐち、ひるきよりも20年程年長。彼は絵が下手だったために現代美術にしか活路を見出せず、その世界の中だけでというエクスキューズを持ったアニメ絵で、現代美術界に翻訳作業を行ってきた。そのコツコツとした作業を粘り強く続けるうちに現代美術界では欧米にもアジアにも熱烈なファンがいるという特異点となっている。
現代美術というのは、美術館やギャラリーのスペースに観客が赴き、観客が作品の前に立ち、そして何かを感じ、感動するというようなプロセスが最低限必要なメディアである。故に、作品の大きさや鑑賞する際の状況設定の必然性のフォーマットが決まっている。今回チョイスしたのは、その必然に応えられる作家達でもある。