現代美術は西洋の発明品

最近の事件になった「もの派」のアメリカでの再評価によだれを垂らして羨ましがっている日本の関係者は多いはずだ。そして昔からの関係各位はこう言うだろう。「私が育ててきた」と。それは事実かもしれないが、生かさず殺さず、作品の代金未払いが当たり前の業界が「育ててきた」と言えるのか? むしろ、可能性を閉ざし、作家への疑念と失望を与えただけではないのか?

2012年の春、LAのブラム&ポーギャラリーで日系アメリカ人、吉竹美香によってキュレーションされた「もの派」の企画展「太陽へのレクイエム:もの派の美術」は、アメリカ人の発見における驚嘆と賞賛をもって迎え入れられた。それをして初めて世界の現代美術業界に認められた、という認識に不都合を唱える日本人はいない。つまりアメリカ等の西欧での評価が成功の証であるのだ。この「もの派」の展覧会のキュレーションの成功はコンテクストをバラバラにし、それを再統合させ、西欧型の現代美術のフォームにしたことにある。この再編集、再統合の手法がなければ、認められようがなかったのだ。西欧の美術史の時代背景を説明し、日本国の固有性を説明し、戦争による影響を説明し、なんでもかんでも説明し、そういう設定の上に、「もの派」が生まれ、そして西欧の芸術の概念にはない独自性がココにある! という論法をして、初めて相対的な評価が生まれた。

この構造的な理解のシェアをなぜ日本の現代美術業界は行わないのか? 私が観察してきた30年間で思うことはつまりは不勉強のまま楽して飯を食いたい輩の巣窟が日本現代美術業界であり、ゴールが大学の教授職というシナリオが決定しているからだという結論。作家が作品を制作し、本場の地での評価を得るには、説明と翻訳のややこしいプロセスが絶対なはずである。そのプロセスを端折り、学生相手に居酒屋での談笑に勤しむ。国を隔てた文脈の断絶をいかに乗り越えていくか。境界線を設定し、そこに立て篭もっていては、いつまでたっても日本国内だけでの内弁慶にしかならない事実を認めようとはしないことが悲しい現実として、横たわっている。

おたくとは何か?

現代美術業界、オールドスクールの方達用に「おたくとは何か?」ということをおさらいをしてみよう。まず、大学のSF研究会で上流階級風の相手の呼び方「おたく」を揶揄して、サブカル評論家中森明夫が「おたく」というクラスターをつくったのが発祥。アニメの大ブーム黎明期に「宇宙戦艦ヤマト」「ガンダム」等、TVアニメの再編集的な形で製作された劇場版アニメーションの公開に合わせてファンたちが大挙して集まり、ついにはアニメの製作者当人がスターダムに立った。劇場版『ガンダム』のプロモーションで監督の富野由悠季が新宿のアルタ前に1万人ものファンを集め、「アニメ新世紀宣言」をぶちあげたのが象徴的な事件。その後、アニメイト等が膨らむマーケットに合わせてグッズを制作販売し、ファンをターゲットにした専門誌もどんどん刊行される。が、内向的でコミュニケーション能力の低い人間が、こうしたファンタジーの世界への没入にフィットしていたことから、世間的には差別的な低階層に生きる人種としてメンションされていた。宮崎勤の幼女誘拐殺害事件やオウム真理教の教義の中に、マンガやアニメのネタを発見されるという事件の連鎖も、おたくが蔑視される事に拍車をかけた。

しかし、おたくはその蔑視された構造を逆手に取りアンダーグラウンドを偽装し、サブカルチャーとの融合を果たしつつ、アイドル、プロレス、車、コスプレとリアルライフにも越境をすることで、日本のサブカルチャーと完全に合体していったとも言える。創造的なおたくはゲーム、アニメ、同人誌などのコンテンツもつくり始め先鋭的に突き進み、マーケットもそこに乗った。ネットの発展と同期し『電車男』等のブレイクによって、おたくは完全にオーバーグラウンド化した。今現在の日本のメインカルチャーは、ほぼすべてがおたくの因子を抱えており、日本の固有性を表出する文化そのものになっている。一方では拡散しすぎた状況と、一部のコアなこだわり層の存在との間に溝もあり相対的におたくとは何か、という文脈は語りづらくなってもいる。そうした状況の間隙に「クールジャパン」という政府官僚が人気取りのためにつくったキャンペーンが入り込み、おたく文化は奇妙な変形をしながらも膨張している。