村田森陶展

高麗への想い。
務安からのはじまり

村田森

2013年11月01日 – 2013年11月23日

EVENT

プライベートビューイング
2013年10月31日(木)

オープニングレセプション
2013年11月1日(金)18:00〜20:00

「村田森トークイベント」聞き手:宮村周子

クロージングイベント
2013年11月23日(土)14:00〜

「村田森×村上隆トークショー」

作品集『村田森 高麗への想い。務安からのはじまり』より村上の原稿を全文掲載致します。

「うぶ」を求める。Vol.2

Ⅱ.「うぶ」を貫く

 村田森の陶芸の正義の真髄は「うぶ」への肉薄である。「うぶ」は「初心」と書く。「うぶ」を如何に自分に引き寄せるか。「うぶ」とはつまり、作家が制作時、初動とするモチベーションの在処のことである。「うぶ」は芸術の核心部分であり、そこが理解されているか否かが芸術作品になり得るかどうかの肝心要である。

 言ってみれば、柳の『民芸』とは無名の作陶家達の無作為さの中から発生する「うぶ」の芸術性の頂点を、何万個の中の一つに発見する。魯山人は、有名人と連日の宴を催し、昼日中からビールを煽り、酩酊すれすれの状態から生み出される虚実をないまぜにした放蕩と創作の生活から、「うぶ」の瞬間を拾い上げる。

 「うぶ」は、、、「無我の境地」とでも言えばいいのか。表現をする時、「うぶ」の心根につねに到達したいがために、作家は苦心惨憺たる場に追い込み、心も身体も機械的に改造してゆく。しかし、大概はそうはうまくはいかないものだ。 例えば、芸術家は、よくスランプになる、ということがある。そのレベルにも高低があるが、高次元での才能の発露を成功した体験を持った作家のスランプとは何かといえば、成功した作品の持つ作家なりの手応えに、もしくは世間からのリアクションの大きさに、次回作が追いつけない、追い越せない、と悟ってしまい、手が竦み、次回作ができなくなることだ。その竦みから開放されようと、脳をリラックスさせるためにアルコールやドラッグの力を借りる。そして、時として、中毒症を起こし、オーバードーズで死ぬ。性の虜となったり、博打のような中毒症にはまっていったり、妙ちきりんな医者や占い師に騙されたり。統合失調症になったり、鬱や精神的におかしくなったりする。そうした症状は、これまでは脳の生体科学的変化として捉えられてはおらず、「心の闇を覗きこむ」という比喩に例えられてきた。

 スランプから開放されるにも、「うぶ」をその手に掴むにも、身体的なトレーニングか、自虐によって、脳のコンディションをある場所へ持っていかねばならない。身体を機械のように考えて、脳の動きをコントロールし、脳内に浮かび上がってくる理想の形状、色、成り立ちを実体化させねばならない。村田は中毒症になる自分を制し、身体のトレーニングでその境地に挑もうとするタイプである。

Ⅲ.「うぶ」の実践

今回の個展「村田森陶展 高麗への想い。務安からのはじまり」は、徹底して「うぶ」への作陶のプロセスを貫いたと言える。そのプロセスはこうだ。
1. 徹底的な技術者としての修練
2. 一つ一つの成功例のレシピの確保
3. 芸術家ではなく、陶芸の工作者、一人の作業者としての心根の保持(アンチブランド化)
4. 無計画な形での韓国「務安」への作陶の旅
5. 京都、雲ケ畑での新設計の穴窯での作陶  

詳しく言うと、「1. 徹底的な技術者としての修練」「2. 一つ一つの成功例のレシピの確保」「3.芸術家ではなく、陶芸の工作者、一人の作業者としての心根の保持(アンチブランド化)」、これら3つは、無名の陶工の在り方を良しとする柳宗悦の理念に忠実にあろうとする流れだ。身体を機械化することに腐心し、無我無欲で作陶の中だけに生きようとする修業のプロセスを言う。

 一方、「4. 無計画な形での韓国『務安』への作陶の旅」「5. 京都、雲ケ畑での新設計の穴窯での作陶」は、修業によって到達可能となった技術面を携えて、さらなる高み、つまり「うぶ」の発生を偶然から必然へと変えようという野心への試みなのだ。
 では、「4. 無計画な形での韓国『務安』への作陶の旅」とはどういうものだったかを解説しよう。村田が「うぶ」の達人として、柳、魯山人と並んで尊敬する、川喜田半泥子※4という作家にして当時の作陶家達へのパトロンがいた。彼への韻を踏んで、半泥子が窯を持った韓国の地へ赴いての作陶をしたい、と願った。半泥子の使った土を求めて「務安」という韓国南西部の土地に辿り着き、そこに3週間滞在し、偶然出会った陶芸作家の窯を借りて(その韓国人の作家が、何から何までただで貸してくれ、そして飲み食いもすべてまかなってくれた)作陶し、出来上がった不器用なうつわ達。 この掴みどころのない作品群の制作プロセスに「うぶ」が宿ったという。このプロセスそのものが、村田の今現在考えうる芸術の究極の答えの出し方の一つである。
 そして、「5. 京都、雲ケ畑での新設計の穴窯での作陶」においては、「うぶ」を偶然ではなく、作家のコントロール下に納められるか否か。そこが争点となる。今、村田はそのまっただ中に飛び込んでいったばかりなのだ。

※4 川喜田半泥子(かわきた・はんでいし/1878-1963)
裕福な家庭に生まれ、百五銀行の頭取を務めるかたわら、趣味の陶芸を極めた。本格的に作陶を始めたのは50歳過ぎ。自由でのびやかな作風が評価されるが、作品は一度も売らなかった。三重県津市の自邸に窯を築いたほか、韓国でも窯を持ち、作陶したことが知られている。陶芸家の支援も熱心に行った。「東の魯山人、西の半泥子」「昭和の光悦」などと称される。

参考資料:千早耿一郎・龍泉寺由佳供書『川喜田半泥子 無茶の芸』(二玄社)
kawakita

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プライベートビューイング
2013年10月31日(木)

オープニングレセプション
2013年11月1日(金)18:00〜20:00

「村田森トークイベント」聞き手:宮村周子

クロージングイベント
2013年11月23日(土)14:00〜

「村田森×村上隆トークショー」

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