村田森陶展

高麗への想い。
務安からのはじまり

村田森

2013年11月01日 – 2013年11月23日

EVENT

プライベートビューイング
2013年10月31日(木)

オープニングレセプション
2013年11月1日(金)18:00〜20:00

「村田森トークイベント」聞き手:宮村周子

クロージングイベント
2013年11月23日(土)14:00〜

「村田森×村上隆トークショー」

作品集『村田森 高麗への想い。務安からのはじまり』より村上の原稿を全文掲載致します。

「うぶ」を求める。 Vol.1

村上 隆

Ⅰ. 村田森的陶芸芸術の極致

村田森の目指す陶芸芸術の極致とは何か? それは、作者知らず、誰がつくったかはわからずとも、歴史に残る作品が創出できるということだ、と本人は言う。これは柳宗悦※1の『民芸』の理念そのものである。一方、自分のサインを誇らしげに行い、さらには、その名前を冠にしたブランド化を己が手を触れてもいないうつわにまで拡大した、作陶家にして美食家の北大路魯山人※2。彼への愛も憚らずに語る。

 柳は上流階級の卑しからぬ人間として、世俗的な売り買いには積極的には関与しなかった。素朴で無作為の物体、つまり当時、無名、無価値であった、日本の田舎に転がっている泥臭い農具や民具に美を再発見する行為。芸術の存在を感じたこともないであろう人間がつくったモノ達を一つ一つ博物学的にピックアップし、何万個の中のたった一つの新鮮さを発見する哲学。それを『民芸』と呼び慣らわし、手際よく文化人に声がけをし、啓蒙活動に入る。陶芸といえば技巧を凝らした中華もの、という風潮に対抗し、ピカソの生きた同時代のトレンドであるある種のワールドアートに目覚め、『茶道』創始者、千利休※3のフォームの拡大解釈にして真髄の再発見と、朝鮮の陶芸で未発見であった白磁にも「侘び寂び」の価値をのせてみて、その真価の耐久力を試す。当時の最新鋭の哲学を武器に、目利きによるお宝召喚のマジックを行った。

 一方、魯山人は生前、その行動と理念において、卑しき芸術家として知られていた。持って生まれた美食への飽くなき探究心と、古美術を理解する目利きを武器に、有名人に擦り寄り、己の名前のブランド化の手さばきを覚え、会員制の美食の殿堂「星ヶ岡茶寮」をつくり上げ、大ヒットさせ、東京から大阪にフランチャイズ化。食の通信販売をデパートを舞台に行いもする。とにかく、金を儲ける、稼ぐ。その金で骨董を買い漁る。骨董や陶芸仲間のコネを利用し、過去の窯跡の発掘調査も行う。収集するコレクションは柳とは双璧の由緒正しきものへの希求を信条とした『上物』。当時大ヒットを飛ばしていた「星ヶ岡茶寮」の稼いだ金を骨董に無断でつぎ込み放逐もされる。不本意ながらも鎌倉の田舎に幽閉されるがごとくの作陶家人生を余儀なくされても、持ち前のアイディアと交友関係でそちらの事業も成功させる。何もかもをその手に入れるがため、人の数百倍ある欲望の魂に点火し、上流階級へのカウンターをセッティングするために、金儲けへの執念を燃やし、味噌もクソもダダ漏れの大量の作品を発表。評判の良い手びねりの壺の型をとって、それを何個でも再生産して売るような破廉恥を罵倒され、恥じるどころか返す刀で関係者への罵詈雑言をし続け、ホラを吹き、卑しい人間としての悪評判にまみれ、華々しい交友関係は何処へやら。当時設立したばかりの人間国宝制度に目利きの友人に推挙されたりもするが、固辞し、寂しく、その生涯を閉じる。しかし、ねじくれた人間の魯山人その人がこの世に居なくなってから、彼の残した芸術の真価はますます光輝き、鮮烈な新鮮さを身にまとい、全陶芸界の中での人気も、未だ、群を抜いている。

 柳、魯山人、二人のぶちあげたそれぞれの新しい理念の発露は、当時の日本の美の価値の究極と言われた『茶道』への強いカウンターであったとも言える。『茶道』の創始者千利休の打ち出した理念と、大正昭和期のグダグダであったであろう茶道界のブランドを誇示し、形骸、硬直化した価値体系への嫌悪感を持ちつつも、利休の考案した日本の美の究極の形式を最大限にリスペクトするためにフォームや目先を変え、利休への肉薄をテーマに、美の追求を必死に行った結果のそれぞれの人であった。
 柳、魯山人、二者に共通する新鮮さやマジックのタネ明かし、美の根源を探しあて、そこに邁進することを、村田においては、現代の陶芸家の進む正義の形としているのだ。その正義とは何か?

※1 柳宗悦(やなぎ・むねよし/1889-1961)
日本の思想家。芸術としては評価されてこなかった、生活で使われる民衆的な工芸品(民芸)に光を当て、陶芸家の濱田庄司、河井寛次郎らとともに、「用の美」を唱える民藝運動を起こした。とくに北海道、東北、沖縄、台湾の無名の職人による日用雑器、工芸品、仏像などに注目し、朝鮮の陶磁器や古美術の収集も積極的に行った。1936年に日本民藝館を設立。一般的には「やなぎそうえつ」と呼ばれることが多い。長男はインダストリアルデザイナーの柳宗理。

参考資料:柳宗悦『茶と美』(講談社学術文庫)
chatobi

※2 北大路魯山人(きたおおじ・ろさんじん/1883-1959)
陶芸、書道、篆刻、絵画、漆芸、料理など、多方面で才能を発揮した芸術家。書家を志すが、日本画壇の巨匠達の款印をつくり評判を呼ぶ。後に開設した会員制高級料亭・星ヶ岡茶寮では、料理を自作の器で振る舞い、陶芸にも邁進。豪快な言動がつねに波瀾を呼んだが、死後、器は料理人の間で人気を呼び、高額で取引されている。

参考資料:北大路魯山人『魯山人陶説』(中公文庫)
rosanjin

※3 千利休(せんのりきゅう/1522-1591)
現在に伝わる茶道を確立した茶人。戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍し、天下人である織田信長、豊臣秀吉に仕えた。無駄を省いたわび茶を完成させ、楽茶碗や、躙り口などを創案した。

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プライベートビューイング
2013年10月31日(木)

オープニングレセプション
2013年11月1日(金)18:00〜20:00

「村田森トークイベント」聞き手:宮村周子

クロージングイベント
2013年11月23日(土)14:00〜

「村田森×村上隆トークショー」

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