「東北画は可能か?-生々世々-」

 
2022年7月8日(金)- 2022年7月28日(木)
開廊時間:11:00〜19:00
閉廊日:日曜・月曜・祝日

*オープニングアーティストトーク:
2022年7月8日(金)18時開始

※入場人数が一定数を超えた場合、入場を制限する
場合がございますのでご了承ください。

生々世々, 2022, Acrylic, gold leaf, aluminum leaf, canvas, 3000x6000mm. / Photo: Yu Kusanagi ©︎Is Tohoku-ga possible?

 

本展に寄せて

森のアトリエで制作していると村上隆さんから連絡があった。「京都市京セラ美術館で東北画は可能か?の展示を見たよ。今から山形まで行ってもいいか?」というもの。あっという間に10名ほどのライングループが組まれ、とんでもない過密スケジュールの調整が各所で始まり、次の日の夜には鄙びたかみのやま温泉駅のプラットフォームにひとり降り立つ彼の姿があった。もともとは小学校だった教室のアトリエを案内しながらの対話は深夜まで続いた。

「これからこの東北画はどうなるの?」「最終的には東北の美術館に収まって常設展なんかに展示されているといいですね。」「バカ!美術館なんて永遠に続かないよ!」「東北画のコンセプトには興味がない!でも作品には大きな力がある!」「コンセプトがなければみんな集まらないし、こんな熱いうねりは出ないんですよ。」「あなたたちが一番あなたたちの作品の力に気づいていないんだ!」

といったわけで、あまりにも熱く、真っ直ぐなアプローチに心打たれ、「東北八重山景」と「方舟計画」の写しと新しい共同制作をコミッションワークとして制作することになったのだった。

東日本大震災から10年という節目の年であり、長年のパートナーである鴻崎正武さんが大学を去るということを知りショックを受けたというタイミングもあって、最新の共同制作のテーマは「災害」にしようと決めた。人間の存在を前提とする「災害」という概念を、それが降りかかった個人や集団の対応能力を遥かに超えるような大きな力であると規定し、歴史的に記録されるような大災害から、失恋や肉親との別れといったパーソナルな災害を、洛中洛外図の構造をベースにパッチワーク状に敷き詰めていくという制作の方向性がすぐに決まった。

描き始めてすぐに阿蘇山の中岳で噴火が発生し、「戦争もひとつの災害だよね。」と話していた後にウクライナ侵攻があるといった、現実と絵画空間が共鳴し合うような高揚感の中で生まれた共同制作だ。

タイトルは、仏教において生まれ変わり死に変わりして限りなく多くの世を経るという意味をもつ《生々世々(しょうじょうぜぜ)》と名付けた。《方舟計画》で汚れてしまったこの地を再び住める場所にするために旅立ったやまごんのアフターストーリーとして、現世も来世も永遠に決して忘れないという強い思いが詰まっている。

三瀬夏之介


方舟計画 令和手, 2022, Acrylic on canvas, 3000x4500mm.
Photo: Yu Kusanagi ©︎Is Tohoku-ga possible?


椹木野衣さんのキュレーションする「平成美術:うたかたと瓦礫 1989-2019」という展覧会に出品された三瀬夏之介さんと鴻崎正武さんと東北芸術工科大学の学生との合作「東北画は可能か?」という作品を見て、大変心を動かされました。
日本地図がぶら下がっていたり、絵画がドカンドカンと、すごい力のある美大生の作品そのものを見たような感動があって、それは現代美術の、コンセプト至上主義とは無関係で、絵を描くことそのものが最も大事な世界なのだ!という信念に溢れていて、清々しかったのです。
そして、「東北画」の命名に至る文脈が、僕のキャリアや、辿ってきた流れにおいて、共感可能な部分が多い部分も感動への導線となったのかもしれません。
僕は東京藝大の日本画科出身で、その所属する科に対する疑問が長く続きました。
三瀬夏之介さんの提唱する「東北画」というタイトルを聞いて、直ぐにイメージしたのは、ああ、この人も美大の「日本画」科の存在の呪いの犠牲者の一人なんだという事と「九州派」との関連性でした。
まず、日本画科の呪いとは何か、というと、日本の美術大学発生の原点に岡倉天心がおり、彼は欧米列強から日本を精神面から再構築するべきであるという強い意志を持って、美術大学を立ち上げました。故に、美術大学には日本画科は無ければいけない要素であるということが呪いなのです。
日本の太平洋戦争敗戦以降も、日本画は日本人の心の拠り所として、バブル経済勃興時から、絶頂期まで日本社会において、その存在感は絶大でしたが、バブル崩壊と共に、消滅してしまったのです。
その理由の考察はココでは省きますが、その崩壊のあおりをモロに受けたのが三瀬さんの世代であると思います。
三瀬さんは、京都市立芸術大学の日本画科出身であり、在学中より、日本画とは何かを自問して来た人間だと思いますが、多分、その答えは見つけられず、大きな挫折があったと思います。そして、その気持ちの行き場の無さが、東北画へと向かって行ったのでは無いかと察しました。

次に九州派との関係性です。
北九州に生まれ育った戦災孤児、菊畑茂久馬を筆頭に、複数名の九州で美術家を志すアーティスト達が、戦後の東京における、首都中心主義的空虚な権威的立ち振る舞いに対して、異議申し立てをしたムーブメントですが、そもそも敗戦後、日本の国家の在り方への疑義が、コンセプトの根幹にあったと思われます。
根拠が薄い中央と地方の力の上下関係への絶対的な否定として、九州派というネーミングをした事と同じ意味で、また日本画の凋落への悲哀と自虐を込めて、東北画は命名されたと思います。
その文脈にも大きく共感しました。そして、もう1つの共感ポイントとして、東北画の作品は、三瀬さんと鴻崎さんが指揮棒を振って、多くの人を集めて作品を作られたというグループワークであるという部分。
九州派の主宰者、菊畑茂久馬さんが、美学校というところを根城にして、その学生達と共同制作の炭坑夫の山本作兵衛さんの絵を拡大するというブロジェクトをやられていた感じと、そっくりそのままの体制で制作しているのです。

そんな、日本を探す旅路であるのとともに、ご自分の人生を受け入れて、東北の方に移り住み、その土地を主題にした作画は、開始から1年を経て東日本大震災へと流れ込みます。
経緯は、御本人からの解説文をお読み下さい。
その文脈において、これら作品群を見ると、日本の歪みそのものが見える気がする不思議な感覚が襲って来ます。
そして、私はこの作品を欲しましたが、どうしても東北に残したい。売れないならば、再制作はどうか?という話に乗ってくれて、今回の作品完成となったのです。

そういった作品を僕はコレクションしたいと思いました。若しくは、外国のコレクターや美術館の方に持ってもらっても良いと思い、注文したのです。
それの日本でのお披露目の場が欲しいということだったので、ご本人達、作家やそのお友達、協力してくれた方々が、気の済むようにやった方が良いと思い、今回発表の場を作りました。
なので、ちょっと異例の展覧会になりますけど、全国に散らばる美術大学の日本画の諸君に、何か希望を与えられればと思っております。

村上隆


東北八重山景 令和手, 2022, Acrylic on canvas, 3000x4500mm.
Photo: Yu Kusanagi ︎©︎Is Tohoku-ga possible?


▼ご来廊の際のお願い

来廊時には必ずマスクを着用いただき、入場時には手指のアルコール消毒にご協力ください。
マスクを着用されていない場合は、ご入場はお断りさせていただきます。予めご了承ください。
また、体調がすぐれない方はご来廊をお控えください。

ギャラリー側でも、定期的な換気の実施や、お客様がお手を触れる場所のこまめな消毒、スタッフのマスク着用等の感染防止対策を行います。

*展覧会開廊日と時間について
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