MAKE MEMORIES WITH THE BUNNY

ジョシュア・ネイサンソン

2016年5月27日 – 2016年6月23日
開廊時間 :11:00 – 19:00
閉廊日:日曜・月曜・祝日
レセプション:2016年5月27日(金)18:00〜20:00

is it the goat’s rue powder or eleutherococcus senticosus rub that helps with the never ending sense of impending doom?, 2016
Acrylic on Canvas
2134 x 1549 x 38 mm
Courtesy of Various Small Fires, Los Angeles

次世代アーティスト:マジカルに変容する日常体験

カイカイキキギャラリーは、5月27日(金)より、ジョシュア・ネイサンソンの日本初となる個展を開催いたします。

本展では、村上も魅了されたジョシュアのペインティング10点余りを展示予定です。テーマは「ショッピングという体験」。LAのショッピングセンターで取られたスケッチをもとに描かれた最近作をご紹介させていただきます。

作家からのメッセージ

幼い僕と弟が、テキサス州ヒューストンのウィローブルック・モールに入ろうとしている瞬間のイメージが頭に残っている。僕らは子供のころ頻繁に引っ越ししたが、でもいつも住むのはアメリカの郊外で、いつも近くにはモールがあった。僕らはモールが大好きだった。このヴィジョンでは僕らは陰鬱な駐車場から飛び込もうとする瞬間で固まっている。僕らは宙に浮いて、漫画のキャラクターみたいに足を回転させて、アーケードやフードコートやサーフショップを目指して駆けながら「よっしゃ!」と叫んでいる。それはまるでテレビの中に飛び込んで、世界が提供するもっとも魔法のようで、張り切った、目の冴えきったものの一部になれるようなものだった。

それから、モールでは非常に穏やかな気持ちになれたこともまた覚えている。音楽や人々のくぐもった騒音を耳にし、噴水の中の完璧に滑らかな滝を眺めながら、エスカレーターの隣の巨大なスカイライトの横に、いや殆ど中に立って、それら全てを遠くから見ている時。それは僕に「これ以上何を望めっていうんだ?」と思わせた。時々僕はメイシーズの洋服の陳列棚の下に潜って世界の終わりを想像した。それはどちらかというと悲しいとか怖い考えではなくて、真の満足の気持ちに近かった。

僕は今でもモールが好きだが、大人になった今は、もっと皮肉な見解を持っている。若かったころの活力は、これら現代の大聖堂を築き、稼働させ続けるために必要とされる苦痛、浪費、そして破壊についての目覚めによって加減されてしまった。そして僕は、我々の消費信仰や見世物の必要性に対して懐疑的だ。それに、モールというものは僕だけじゃなく、社会全体にとって郷愁に満ちたものになってきているのではないかと感じている。アメリカーナ等、最新の幾つかのモールは、ビクトリア調の建物、ビンテージの街灯や路面電車といった演出で1900年代初期頃の理想化されたアメリカのメインストリートを再現しようと試みている。僕らの子どもの頃通い慣れたようなもっと現代的なモールの多くは、衰退し始めている。人はオンラインショッピングをすることの方が多くなっているのだろうが、いずれにしてもモールで買い物するということはあまり重要な経験ではなくなってきていると感じる。時代遅れのライフスタイルの半分観察者、半分当事者として、ルネサンスフェアを訪れるー吟遊詩人が彼の王について歌うのを、巨大な七面鳥の足をかじりながら眺めるーのと同じように、何か昔っぽいことをやっているふりをしているみたいだ。

でも不思議なのは、こういった古典的なアメリカのモールのいくつかは、未だにすごく新しく感じられることだ。そしてもしかしたらいつまでもそういう風なのじゃないかと想像する。40年前に建てられたグレンデール・ガレリアが、(道を挟んで向かい側の)数年前に建てられたばかりのアメリカーナより新しく感じられるなんて、いけてるじゃないか。まるで新しさ(モダニズム?)というのは歴史的な事実ではなく、スタイルであるというみたいに。これらの古典的モダニストのモールには、どこか厚かましくナイーブなものがあった。それは僕らを昆虫、個々の店舗をそれを惹き寄せんとする花に見立てた自給自足のバイオドームを創ろうという資本主義の真摯な試みだった。全てが内へ内へと折り込まれ、景色、匂い、音、左右だけじゃなく上下も含め、そこらじゅうを動き回る人々が、僕らの五感全てを打ちのめした。

これら全てのアイディアを踏まえ、僕はロサンゼルスの幾つかのモールへ出かけ、iPadでスケッチをして、それを後でペインティングにした。モールに座っているのはすごくおかしな気分だった。じっとしていないで動くべきだと感じ、自分がキオスクで香水を売っている人たちを緊張させている(その逆ではなくて)ような気がした。僕はモールを間違った風に使っていたということなのだろう。買い物し、消費する代わりに、僕は受動的に観察していたのだ。モールはプライベートなスペースであるということを思わされた。そこには見るものがたくさんあり、皆がそれぞれ何かしらを探していた。広範囲にわたるごく平均的な人々が、理想的な夢の中に住む神のような人々を使った巨大な広告に囲まれている。でも誰もそんなことを真剣に考えてはおらず、はっきりいってほとんどの人は純粋に幸福そうに見えた。僕は、実際に見たものと見たように感じたもの、それからそこに座っていることで考えさせられたことをミックスしたものを描こうとした。このスタイルは印象派と抽象とシュールレアリズムを混合したものと考えられるかもしれない。でも僕の最終的なゴールは、いくつかの特定の気持ちを見出し、それをあまり批評しすぎない形で観客に伝えるということだった。自分がモールについてどういう気持ちを抱いているのかはっきりわからないながらも、常に惹かれてきたので、そういうことをやってみたかったのだ。

ジョシュア・ネイサンソンについて

@lizny3というハンドルネームのリズ・ゴールドマンさんのインスタグラムをフォローしています。彼女のアップする作品作家のキュレーションが素晴らしく、ここ1年ほど、フォローして、いろいろ参考にしています。

彼女はコレクターさんでもあるということで、作家のスタジオ、オープニング前のギャラリーに行くことが頻繁のようで一番熱い現場をレポートしているのです。その中に、ジョシュア・ネイサンソンさんのLA Various Small Firesギャラリーでの個展の準備の模様が上がっていました。

2015年9月11日オープン。偶然、僕はその時にLAに居たので、オープンした次の日当たりに展覧会を見に行きました。

作品は殆ど売れ切れていて、2枚だけ、販売可能な作品があったので、購入させて頂きました。購入して、大変幸せな気持ちになりました。
なんでだろう?

なんか、高校時代に聞いた日常生活をぼんやり描いただけのフォークソングのようなそういうさりげない風景が、展開しているのです。

iPadで描いたんだろうか?

ふわふわしてて大変心地よい。

日本人の僕にとっての現代美術って、ガチガチのコンセプトが至上主義の世界で歴史をガリガリ勉強していなければならない、腕組みをしてしかめっ面した世界でのアレコレだと思っていました。

でも、彼のはなんか、Tシャツに短パンで、裸足でもって車を運転してて、ギターを持ってて、ボロボロの車で海岸あたりを運転してて、タバコをぷかぁ~って吸ってるような。そんでもって、気が向いた時に、スプレーでしゅ~って、絵を描いてるような、、、って、そんなこたぁ、無いんだろうけれども、そういう制作している背景が勝手に妄想できて、で、幸せになったんです。

でも、調べてみると、マイク・ケリー、クリストファー・ウィリアムズ、リズ・ラーナー、ハイム・スタインベック、マリリン・ミンター等に師事したとのことで、ああ、わかってて、こうなったのかなぁ~って。

どっちにしても、カイカイキキはギャラリーなんで、欲しいと思ってもらえるような作品を紹介しなくっちゃなので、今回はその辺が肝となってます。

この前、横浜美術館で、僕のコレクションの展覧会をやったんだけれども、その時も、彼の作品は、大事な場所、展覧会のエンディングの場所に飾りました。なんか、ふわ~っていう空気が出てるもんで。。。

そういう絵、探してる人にもってこいです!!!

村上隆