もっと大きな壺といつものうつわ
綻びを力に変えて

尾形アツシ

2017年11月25日(土) – 2017年12月20日(水)
開廊時間 :11:00 – 19:00
閉廊日:日曜・月曜・祝日
レセプション:2017年11月25日(土)18:00〜

村上隆からのメッセージ

尾形さんとの関わりは、2012年に中野のHidari Zingaroで個展をやって頂いてから続いています。もう5年も前からです。

僕は以下の4点の意味で尾形さんを気に入っていました。

  1. 30歳代中盤で雑誌の編集長を辞めて陶芸の道を志したこと。
  2. 生活陶芸系では「味」的な表情を強調している作家である。
  3. ご本人曰く、手が小さい。陶芸家の手をしていない。つまり人生の途中からの参加した作陶の道であるというネガティヴな条件を自覚しながらも立ち向かう姿勢に共感した。
  4. 不器用ながらも実直なお人柄が作品にそのまま出ていること。

展覧会終了後も、海外のお客様からのオーダーにたくさん応じて頂いて、板皿を大量に作って頂いたりしていました。無茶苦茶なオーダーにも快く対応して頂けていたのは、きっとご自分の限界を引き延ばそうというチャレンジ精神からではなかったかと思います。そういうやり取りの中でしたので、尾形さんに、もし麻布のカイカイキキギャラリーの広いスペースでやるとなったら、ものすごい、今まで見たことがないぐらいの、尾形さんが作れないぐらいの、大きな作品を作ってもらえませんか、という話をしたところ、その話にも乗ってくれた訳です。

カイカイキキで発表してくれていた他の陶芸作家、大谷工作室さんや上田勇児さんらが、制作している信楽の『陶芸の森』という、滋賀県の行政法人でアーティスト・イン・レジデンスを展開している施設があります。そこはアメリカで作陶をしていた杉山道夫さんという、志の高い寛容なディレクターの方が主導していて、大きな大きな高さ2mの作品が焼けるだけの窯があり、彼の正しい導きによって、大きな陶芸、もしくは複雑な陶芸作品が次々と生まれていたので、尾形さんの巨大作品制作も自然とその場で制作、ということになりました。

信楽『陶芸の森』は奈良美智さんが、作陶し始めた場としても脚光を浴びたレジデンスです。奈良さんは『陶芸の森』で作陶したことにおいて、大きな足跡を残しています。それは絵描きであり彫刻家でもある奈良さんが、陶芸的な原則に囚われず、自由な発想で、大きな陶芸作品を造る際には、内部にリム=骨格を入れることを始めたことです。

その技術そのものは、もともと『陶芸の森』の中にあったものかもしれませんが、奈良さんがその技術を使って次々と巨大な作品を造ることで、それを観ていた作家たちが次々とそれに追従してゆきました。尾形さんの超大作壺にも、このリムが入っています。

壺の体をとっているもの、中は彫刻的に、リムと言って、建築的な、建造的な、ある形を守るための骨組みが入っています。尾形さんの考える肌合いに近くなる土は、基本的には柔らかく、肩の張った壺を作ろうとすると、どうしてもある一定以上の大きさになると潰れてしまう。肌合いを優先し、しかも形状をキープしようとすると、リムが必要になってくるという、必然性に駆られてのものですが、これは、言ってみれば壺という意匠を借りた彫刻作品にもなってきてる訳です。

尾形さんご自身も、この彫刻作品的な壺に関して疑問を持ち、かつ積極的にそこにも自分を重ね合わせていこうという試みが、今回の制作過程であったと聞いています。その一つには、自分は本当に、そういったオブジェ的なものを作りたいのだろうか、という疑問だったそうで、もう一つには、リムを張って作った壺が爆発し、その残ったリムそのものが壺としての体を成せないかという提案、そういうものを作り出そうとしていると聞きました。(10月21日現在)

とにかく、大きい壺です。用の美、という言葉が生活工芸の世界で流布されていて、それが作家の拠り所になっているフシがあるコンセプトから、遥か離れての制作です。そうして、展覧会に出品する巨大作品が揃ったところで、尾形さんから10月10日に今回の展覧会の声明文が出てきました。それは、「綻び」についての文面でした。

しかし、今回の超大作を作っていた身体的なプロセス、そしてその大きいものを作ったことによる、のびのびと作陶した事への張り切った心境などが語られているのかと思いきや、逆にぐるりと一回りして、掌に収まる大きさへの改めての憧憬が語られていました。びっくりしました。しかし、当然といえば当然です。尾形さんは、編集者時代に疲れ果て、心の拠り所を手に収まる使える陶芸作品に見出したのですから。尾形さんは、皮肉にも僕との関係においての超大作を造ることで、いわば原初的な、手のひらに収まる生活内で使える陶芸の世界を今一度見つめ直すきっかけを掴んだようです。

尾形さんの超大作は、もう一度手のひらに収まる陶芸をやっていこうという決意に達した、という意味においては、僕の予想と違うものでしたが、ご本人は「大きなものから小さきものへ、小さきものから大きなものへ。その、スパイラルを見つけ出す仕事でもあった」とも言われており、この展覧会をきっかけに、大壺とうつわの往復運動に今後の活路を見出されたことは、僕にとって、陶芸世界と関わってゆく今後を考える示唆的なものとなりました。

なぜなれば、僕がやりたいのは、既存の業界の慣習、既存の価値観を一度破壊し、そこから全く違う芽が出てくる、もしくは、作家の中にある悪魔のような創造の欲望が出てくるような、そういった体験を共にしたいというものでありました。なので、『生活工芸』的なる世界観の中で、作陶していてもソコを食い破るような創造への希求の念が湧き出てくるはずだ、と仮定していたのですが、尾形さんの場合は、ぐるっと一周りして手のひらに戻って行かれた、ということでありました。

尾形さんの今後の方向性はさらなる「綻び」の世界の追求かと思いますが、ご縁があって、超大作を真剣にたくさん作ってくれたことには、心からの感謝と運命を感じています。そんな運命に導かれて出来上がった巨大な作品群と「綻び」に目覚めた使えるうつわ達に、是非出会いに来てください。

村上隆

Go To Top