Drawings : 1988-2018
Last 30 years

Yoshitomo Nara

2018年2月9日(金) – 2018年3月8日(木)
開廊時間 :11:00 – 19:00
閉廊日:日曜・月曜・祝日
レセプション:2018年2月9日(金)18:00〜20:00

Nara’s studio, 2007
photo : Yoshitomo Nara

村上隆からのメッセージ

Kaikai Kikiギャラリーはこの度、現代日本を代表するアーティストの最高峰の一人、奈良美智(1959〜)をレプレゼントすることになりました。2018年は東京元麻布のギャラリーで2回の個展。そして香港BASELアートフェアでも特設ブースで個展形式の展示を行います。(ちなみに、2018年はKaikai Kikiギャラリー10周年の節目の年でもあります!)表現方法は異なるものの、奈良さんとは作家としての精神性を共有していると、お互いに感じています。Kaikai Kikiギャラリーでは、奈良さんがほかのコマーシャルギャラリーではなかなか実現しにくい、奈良さん自身の歩みを振り返り、作家としての核の部分を確かめる様な展示をおこなう予定です。

奈良美智は1984年にデヴュー以降30数年間、唯一無二な立ち位置でアートシーンに立ち続けており、世界中の人々と独特の文法で対話し続けてきました。よく言われているのが日本的な漫画や、かわいい文化との近接ですが、むしろ洋の東西を問わない音楽への深すぎる造詣、その文法であらゆる人々との共感を築き上げてきました。

アートのハードコアなファンはもちろんのこと、アートに馴染みの薄い人々にも広くファンを獲得しています。特にアジアでの人気は絶大で、その影響力の大きさはオークションでのヒートアップにも顕著です。しかし、ココ数年は、そのヒートしすぎたマーケットの反応に嫌気を感じ、人前への露出を避け、自分の世界に引きこもるようなスタイルに変化してしまいました。ひきこもっていた、と言っても、2017年11月には日本の中央に位置する保養地、那須塩原市に自身の作品や大切にコレクションする作品やレコードなどを展示するN’s YARDをオープンし、独自のスタイルでの新しいコミュニケーションを模索し始めています。

今回のKaikai Kikiギャラリーでのレプレゼントによって、奈良美智さんのそのような複雑な想いをどのようにマーケットの中で具現化出来るのかが、テーマであると思っています。具体的に言えば、転売を前提とした業者への嫌悪からの迂回と、今一度、本物のファンとの自然な交流を取り戻せるようにしてゆきたい。そして奈良さんの創造の羽を思いっきり伸ばせるようにしたい。
そんな大志を抱いて、Kaikai Kikiギャラリーは奈良美智をレプレゼントし始めます。

村上隆

作家から本展に寄せて

さて、ドローイングについてちょっと書いてみよう。

幼い頃を思い返せば、鉛筆一本で描くことが好きだった。鉛筆一本で何でも描けていた気がする。でも、子どもはみんなそうかもしれない。描く場所はどこでも良かった。授業中や、学校帰りの道端、もちろん家の中でも描いていた。それは学校の授業で描かされる水彩画のようなものとは違って、なんだか自分が言いたいことや思ったことを、言葉や文字にするような感覚で描いていたように思う。時には文字も付け加えたりしたが、絵日記とも違っていた。そんなふうに描いていたものが、自分にとってはドローイングの原点であり、今も続いているドローイングという行為なのだろう。

自分とドローイング、その関係。自分がどんなふうにドローイングと付き合ってきたのかということ。学生だった頃から今までの30年間をここに俯瞰するように見てみようと思う。その時の気分や思うこと、瞬間に浮かんだアイディアや、文字と共に描きとめてきたもの、ただただ鉛筆を持った手の運動という類のものもある。それはいろんな手法というか、ただただ息をするように、その時そこにある鉛筆やボールペンで描かれている。

美術学校で習うような表現方法とはちょっと、いや、かなり違う。そんな子供時代からの延長にある表現。言葉で上手く表現できなかった、いや、言葉よりも描いた方が思っていることを気持ちよく伝えられるはずだ、という独りよがりの確信に満ちて描かれているドローイングたち。それを30年というスパンで展示するのが今回の個展だ。

美術史の中で自分はどんな位置にいるようになるのだろう?いや、そういう歴史には残らないかもしれないし、そういうところから離れたところで描かれるのが自分にとってのドローイングなのだとも思う。当たり前に個人的で、以前に有名な批評家から指摘された感情の白痴的な垂れ流し(それのどこが良くないのか?)であり、しかし時に冷静に描き留めていたりもする。

そうなのだ、息をするように描いていた。メモするように描いていた。考えるように描いていた。そんな30年間だった。そして、31年目も、32年目も、そんなふうに描いていくのだと思う・・・のだけれど、実は、描くよりも歩いたり、撮ったり、はたまた書いたりすることが多くなっていく気もしている。だからこそ、こうして30年分の自分の吐息をさらすこと、すなわち自分でも確認せざるを得なくなる展示は、とても意義のあることなのだ。

溜息から吐息、叫びや欠伸まで、タイムマシンに乗って出会うように、いろんな自分に挨拶しようと思う。

「冷凍保存された俺の気持ちたち、久しぶりだな!でも、解凍はしない!お前たちの仲間を増やしていくだけだ。」

奈良美智