“PAY PER VIEW”

ヴァージル・アブロー

2018年3月16日 – 2018年4月1日
開廊時間 :11:00 – 19:00
閉廊日:日曜・月曜・祝日
レセプション:2018年3月16日(金)18:00〜21:00

カイカイキキギャラリーは3月16日(金)から4月1日(日)にかけて、ヴァージル・アブロー個展「”PAY PER VIEW”」を開催致します。

アーティスト、ファッションデザイナー、技師、クリエイティブ・プロデューサーという肩書きを持ち、自身のストリートウェア・ブランド「OFF-WHITE」を手掛ける天才的な仕掛け人として知られているアブローは、2016年のデザインマイアミにおける家具のコレクション、熱狂的な人気のあるナイキとのスニーカーコラボレーション「Virgil Abloh x Nike」、今年2月にオープンしたガゴシアン・ギャラリー・ロンドンでの村上隆とのコラボレーション展など、幅広い領域において注目を集め、賞賛を浴びています。

アブローは、以前からファッションや音楽など様々なメディアを通して自身の考えを表明してきましたが、今回の個展では、それがアートを通して表現されます。 “PAY PER VIEW”は消費社会、広告およびメディアが、どのように我々の世界の捉え方に影響を与えるのか、という疑問を中心に構成されます。 カイカイキキギャラリーでの展覧会を通して、そのような彼の枠組みを超えていく、スリリングな視点を共有してください。

作家から本展に寄せて

「俺たちは全員、消費という行為によって形作られている」
―ヴァージル・アブロー

ヴァージル・アブロー個展「”PAY PER VIEW”」は、宣伝や広告が我々の意識をいかに形作っていくのか、その重要性を解き明かす展覧会だ。 90年代の広告で目立っていたブランドのロゴ配置を基礎として、アブローは鑑賞者の関心を惹きつけ、彼らに「果たして自分は、本質的には消費行為を通じて形作られているのだろうか」と考えさせるような世界を繰り広げている。 ここでいう「消費行為」は、広告とは現代人が編み出し、今なお完璧を目指して改良を重ねている手作りのアルゴリズムである、というイデオロギーに影響を受けている。

アブローが鑑賞者に理解してもらおうとしているのは、マーケティングのメソドロジーには一種のアートが内在しているという点だ。 彼は、アーティストが抽象的に制作を行うのではなく、具体的に自分の意見を持ち、現在進行形で発生している社会問題や世の中の状況に対してコメンタリーを提供していかなければならない時代に我々はいる、と考えている。 本展は、広告がいかにアートと似て独特なやり方でカルチャーがまとうニュアンスを記録し、「アイロニー」を掘り下げ、社会的言説にまつわるヴァージル・アブローの声を掲げて展示してくれるのか、という点に焦点を合わせるものだ。 展示作品において何度も繰り返されるコンセプトは、アブローが手掛けるファッション、アート、音楽、映画、文学、家具といったあらゆる分野にまたがるクリエイションは例外なく、「純粋主義者」と「旅人」の両方に対して訴求力を持つ、という原則に従っている。

展示は、視覚的なコミュニケーションを通じて鑑賞者の関心を惹きつけ、今目に見えているものを超えてそれに疑念を抱かせるような現代アートを体験させてくれる。 作品が目指しているのは、ひとつのオブジェクトの中に共存するおびただしい数のメッセージを具現化する設計体験を通して、感情を構築していくことだ。 作家は、物理的限界を超えて広がる世界に鑑賞者を呑み込もうとしているのである。 本展は主に、鑑賞者に、広告がいかに様々なやり方で彼らの日常を囲んでいるのかを観察するよう呼びかけ、それらが概念の領域内においてどのようにエンコードされて隠されたメッセージを鑑賞者自身の知覚によって呼び起こさせ、暴露させる仕組みを構築しているのか、その背後に織り成された思考プロセスの因果関係を明確にみてとらせることを、企図している。

展示される作品《non-cable channel》、《advertise here》、《Lamar》、《OUTFRONT》、《JCDecaux》、《Television》、《untitled》、《oil spill》《a mere image》、《up-to-date》、《dollar a gallon》、そして《ALL SIGNS ARE CONTEMPORARY》は全て、世界中に存在するコメンタリーに更にコメンタリーを追加するものである、という共通点を持つ。 それらは鑑賞者に、各作品に描かれた画像とテキストがいかにして鑑賞者の頭の中に反応とメッセージを生み出すのかを観察するよう、懇願する。 脳はしばしばそれらの反応およびメッセージの解読を試み、結果として最終的には、鑑賞者一人ひとりの人生経験に応じた、ひとつひとつ異なるメッセージの理解が生まれ得ることになる。 それらの異なる理解は、あらゆる創作作品の裏に込められた意味のより深い理解を助ける普遍的な言語を定義しようという、高い志に根差した対話のきっかけとなる。

ヴァージル・アブローは、アートが持つ「宣伝する」力に触発されている。 ルネサンスは、アブロー個人にとっても、目覚めの瞬間だった。 彼は何年もにわたる活動において、アートと広告を一貫して自らの教会とみなしてきた。 建築技術者として学位を取得したアブローが、いずれも視覚広告と仮定することが可能なカラヴァッジォやベルニーニの作品を目の当たりにしたとき、彼らの作品が自分に伝えようとしているメッセージを解き明かしたい、分析してみたい、という切なる願いが彼の中に生まれた。 これが、アブローがブランディングを自分のアートに取り入れたきっかけである。 これらの個人的体験は本展にも還元されており、本展では様々なものを器として用い、それらがいかにアート作品として、現代における広告が根差しているアルゴリズムを解読する触媒の役割を果たしているのかを示している。

カジミール・セヴェリーノヴィチ・マレーヴィチによる《黒の正方形》の最初のバージョン(1915)は、アヴァンギャルド・シュプレマティズムを世界に紹介した作品第一号であり、西洋社会の歴史において現代的かつ抽象的なアートを形作っていく役割を果たした作品のうちのひとつだ。 それは、ヴァージル・アブローのモダニスト的な考え方の傾向に、大きな影響をもたらしている。 アブローの作品《advertise here》、《Lamar》、《OUTFRONT》、《JCDecaux》、そして《Television》は、現代の広告に対する研究を盛り込み、ひとつひとつの広告キャンペーンの裏側にある象徴的な表現を分析している。 アブローは、彼個人の文化的考察と、文化が周りの環境にもたらす影響を利用してこのメソドロジーを自らの物語とコメンタリーに採用し、マレーヴィチの黒い正方形の対話のルールを使って線と線をつなぎ、鑑賞者は広告が持つ力を突き詰めて蒸留したところに残る核心である、という内在的な意図を解き明かしているのだ。

「”PAY PER VIEW”」は、メディアが人類による世界の見方にいかに重大な影響を与えているのかを示す展覧会だ。 広告(ビルボードなど)にインスピレーションを得たアブローは、我々が社会によって、いかに全てのものが「完璧」でなければならないと思い込まされているのかを示してみせようとしている。 このイデオロギーこそ、ヴァージル・アブローがヘルヴェティカ(訳注:現在、世界中で最も使用されているといわれる欧文フォント)で文字を書く技術の習得を目指し、作品に引用を採り入れようとしている理由だ。 本展は、世界が彼のメソドロジーをどのように描き出し、理解するのかを実演し、分析する、アブローが手掛ける数多くのケーススタディのひとつである。 そこで目指されているのは、鑑賞者に、この世界を異なる視点から眺め、アイロニーを日常生活で目にするものごとについてコメントするためのツールとして使ってもらうきっかけを提供することだ。 ヴァージル・アブローは、いかにしてメディアの視線が何らかの意見をあたかも事実であるかのように感じさせるか、という点を扱う。

実際にはそれらが「alternative facts(訳注:「真実に対するもうひとつの事実」という意味で用いられる語。 世間的には事実と見なされていない(嘘と見なされるべき)事柄を「それもひとつの真実だ」と述べる、といった趣旨で用いられる。 トランプ大統領の就任式の観衆の数をめぐり、彼の顧問が発した言葉がもとになっている。 )」であるかもしれないにも関わらず、だ。 彼は鑑賞者に、彼らが新しい時代にいることを理解させようとしている。 新しい時代とはつまり、これまでなら編集不可能だったものが編集可能になった時代のことだ。 我々の世代が生み出してきた表現は、現実は疑い得る、また書き換え得ると悟った我々の、その感覚に応答しようとする精神の表れだ。 ただしそれは、我々の日常生活を取り囲む様々な存在の上にペイントされたメッセージから書き起こされた、社会的な対話から成るユートピアを構成する複数の要素のうちのほんのひとつに過ぎない。

展示作品は、黒体を捉えた映像を映し出すLEDスクリーンであっても、引用されたテキストが書かれたラグであっても、手描きのキャンバスであっても、全てそれらが描き出している伝達ルートを具現化するもので、テキストまたは画像を身にまとって端的に提示する「マネキン」である。 ここに繰り広げられた創造と思考のプロセスは、21世紀における「現代のルネサンス」というジャンルに属する作品なのだ。

村上隆からのメッセージ

今、日本時間の3月2日、午前0時。 僕は、カイカイキキギャラリーでのヴァージルの個展のためのインスタレーションの立体作品のテクニカルな質問と、個展時に発売するTシャツの形式の質問を、関係者10数名の関わるWhatsAppで問うと、あっという間に、アシスタントのアティさんから、今日の天気のご機嫌伺いの一言ともに返事が来る。 ヴァージルからも詳しいTシャツの制作と販売のインストラクションのコメントが来る。 あれ?あと数時間で、パリでのオフホワイトのランウェイショウが控えているの に、こんなに素早く返事が来ていいの?というか、ジョーダンのパリ限定版の発売も今日だし。 僕が明日の東京での限定版画イベントの告知をInstagramで今行ったら、ヴァージル本人がいいねのサインを瞬時に送ってくれるし、一体何なの?

彼にとってはパリコレのレディースのランウェイショウ等、呼吸しているがごとくで、成功しなくっちゃとか、そういう欲とかまったくなく、全然緊張など何処吹く風。

ほんの3〜4年前、オフホワイトのプリント柄がストリートファッションのルールも変えてしまって、2017年のNikeジョーダンとのコラボで、スニーカーのゲームも完全に変わった。

ゲームチェンジャー!ヴァージルアブロー。

ヴァージルアブローの存在を考えると、本当に楽しくなる。
はつらつとなる。
眉間にしわを寄せて考え込む。
手をぽんと打って、新しい発見ができる。
アート、ファッション、Instagram、人種、マーケット、時差、価値、オリジナリティ、そういう境界がもやもやと曖昧になってもクリエーターその人がどど〜んと際立つ。
ヴァージルアブローがにっこり笑ってそこに居る。
というか、彼本人がそこにいないのに、彼の関わったプロジェクトに触れると、 彼を感じる。

その彼が、アートのゲームに関わって、何かを起こすって期待しても、期待しすぎじゃない気がする。

パッと見ただけではわかりづらい。 でも、じわじわとゲームの在り方を変えてきた彼の活動の、アートの世界でのチェンジの瞬間が、いよいよ始まるということに、ワクワクが止まりません。

村上隆