A Broken Mule

ヒュー・スコット=ダグラス

2014年01月16日 – 2014年02月14日
レセプション:2014年01月16日(木)18:00〜

アーティストによるステイトメント

Broken Mule (ブロークン・ミュール/壊れたラバ)展は、疎外され、もしくは消費された素材やイメージからアートオブジェを創造することを通して価値体系というものを探索したいというアーティスト(ヒュー・スコット=ダグラス)の望みから始まる。2つの新しい作品群が、壮観と憶測を組み合わせることにより、価値、投入された労働、素材と素材の関係、そして様々な偶発的な事柄の容器としての「イメージ」(像)に対するアーティストの興味を恒久的に保存し、伝える。具体的に言えば、これらの新作はその素材の偶発性と工業生産の率直性を二進法の始まりとして(再)採用することで生じるイメージを包含する。これらの(再構築された)イメージは本来の物語、機能、そして作者からは離れたところに位置する。その結果、コミュニケーションの構造、我々のイメージや物体に対する理解に影響を与える物的下部構造、そしてその生産および流通手段の活力に満ちた相互作用を疑問視することによって、我々の現代メディア風景の捉え方と物体の価値というものの理解に微妙なシフトを引き起こす。アーティストの最終的な目標は、イメージ物体とその下敷きになっている価値構造の仕組みを熟考、吟味させるような視覚的仕掛け―それらを反映する表面―を設置することである。

Broken Mule展は、既存のイメージや素材を破壊し、再構築することを通して新しい価値を創造するにあたってのパラドックスを掘り下げる。展示は2つの新しい作品群から成り、いずれも写真ベースの作品群でありながら、一方は壁に展示され、もう一方は立体作品群である。ラバは雄のロバと雌の馬の間にできた子であり、その異種混成的な性質が特に作家の関心を惹きつけている。興味深い事に、64の染色体を持つ馬と62の染色体を持つロバの間を取るかのように、ラバは63の染色体を持つ。染色体の構造と数の違いにより、これらの染色体を正しく組み合わせて胚を形成することは事実上不可能である。実際、繁殖力を持ったラバの雄は記録上存在せず、ラバの雌が子供を産むケースは稀で、それも純血の馬やロバとの交配によるものに限られる。つまり、ラバは自身を再生することが出来ないのである。彼らは生産の終盤を象徴しているのだ。ラバは馬のような地位や取引価値は欠いているものの、ロバの勇気と生命力、また忍耐力、耐久性、経済性を持つ。その結果として飼い主に、生産労働の最適なツールとして、新しい利用価値を提供する。またラバという種は、両親である馬・ロバのいずれよりも高い認知知能を示すことが分かっている。

今回の作品群のいずれにおいても、制作手段そのものにおいて、一方ではイメージの不自然な混合もしくは交配、もう一方では修復が不可能になってしまった素材の利用、というモチーフが登場する。素材の再混合で新しいイメージが生み出される一方、再混合の過程を通じて素材の効力は失われる。つまりそれは、再び何かに用いることが不可能な不毛の材料と化す。新しいイメージの一見相反するようなレファレンス先と一貫性の無いソースは、現代的な生産・コミュニケーションと時代遅れのそれらとの間に生じる緊張に呼応している。それらはつまるところ、「ラバ」なのだ。既に全く違った方式で使用済みである物質を接ぎ木のように有機的につなぎ合わせることで生み出された、異種混成的なイメージや素材なのである。しかしながら、これらの「異種混成」作品においては、元となる素材は取り返しのつかないところまで壊れてしまっている一方、「ラバ」は新しい方法で「働く」能力を与えられている。元となるイメージや素材は首尾よく再混合され、異種混成的な外見を生み出しているが、それらのイメージや素材の物質的価値は採用の過程で使い果たされてしまっている。それらは、飼い主がラバを解き放ってしまった後に残るラバを柱に繋いでいた綱のように、利用価値もなく、壊れてしまっているのだ。ただ逆説的だが、この交配から出現するラバのイメージは、新しいクリエイティブな価値を持つ。強制的な掛け合わせの末に産まれた子孫でありながら、新しい作品は綱を解かれたラバのように自由だ。空間的にも視覚的にも、新しい可能性、新しい目的、そして新しい価値に満ちている。

壁に展示される作品群には、英国のケント州アシュフォードにあるキンズノース工業団地に拠点を置くLetraset社が開発した、レトラトーン(スクリーントーンの一種)という製品が使われている。1959年に創立した同社は、アーティストやデザイナーに革新的なメディア(創作材料)を提供することで知られている。当初は手ですって転写する仕組みの活字シートの製造で成功を収めていたが、1990年代初めにCGソフトウェアの台頭で手作業が時代遅れになり、勢いを失う。その後いくつかのソフトウェアパッケージを投入したが苦戦、2000年代初めに重点を成長著しいマンガ市場に移すまで幅広い成功を見なかった。

DIY(日曜大工)アーティストによるレトラトーンの使用は変換という作用を持つ:アーティストはキャラクターを紙に描き、その上に様々なトーンが描かれた透明な接着性のシートをかける。これらのトーンは、四色印刷等の写真製版による複製法によって生み出される効果を示唆する。DIYアーティストによる手作業の機械化を示唆する事で、疎外のプロセスを通じた、作品のアウラ的価値のシフトが可能になる。これら「ラバ」作品の権威は実質上、イメージの当初の価値からの疎外を通してもたらされるのだ。これら異種混成型作品の制作の過程で素材は完全に使い果たされてしまう一方で、価値の方は再建されるのである。シートはアーティストにより裏当てから剥がされ、そもそもの意図された用途で使う可能性を否定する形でスタジオの床に直接接着される。メディウムはこうして使われ、粘着材が床に落ちている堆積物や残骸を拾い上げることで無駄になる。この結合の結果、素材には不要物の層という刻印が押され、拾い上げられた埃は自然な環境である本来のコンテクスト、床から剥がし去られることになる。この無駄になった、つまり本来の特性という観点からすれば回復不能な程に壊れてしまった素材はその後スキャンされ、サイズの面でも、その結果生まれる価値の面でも拡大される。この(再)フォーマッティングという行為は、今一度アーティストを方程式から排除する:様々な偶発性のみによって素材に刻まれた新しいイメージのコンテンツを物として具体化し、それに規範的な価値を与えるのだ。このような使用済み素材の利用に起因する具体化、もしくは疎外は、レトラトーンを本来意図されたやり方で使った場合の効果を反映している。つまり、アーティストの手とその作品の間に割れ目を生じさせるのだ。

ものが死に、腐敗する際には熱が作り出される。死にゆくイメージの場合も例外ではない。Broken Mule展で展示される立体作品群において、アーティストは物体のイメージを本来の物語から空間的にも物質的にも引き離し、アプロプリエーション(流用)する。このアプロプリエーションは、かつて有していた利用価値をもはや持たない新しいイメージ、いわば「幻影と化したツール」に帰着する。こうやって物体を別の目的で再利用するとき、そこに腐敗が生じる:イメージが新たなコンテクストに置かれるときには、ある種の喪失がつきまとうのだ。我々の手元には空虚でお飾り的な(壊れた、と言っても良いかもしれない)、しかしながら不思議に人を惹きつける、まるでウィルスのような、(再)制作されたイメージが残る。

これら立体作品の触媒作用には熱が内在し、その熱は元々のイメージが死に、腐敗するときに生まれる副産物としての熱を暗喩している。これらの作品の機械的な制作過程においては、使用済み切手をスキャンしたイメージが木という素地の外観・上地として印刷される。使用済み切手は、空間的なコミュニケーションを象徴している。ある内容の、一方から一方への伝達を促進した(切手という)イメージというわけだ。これらの切手はかつてのフレーム、つまり封筒から剥がされ、eBayでコレクター、つまりこれら小さなイメージ物体をトロフィーとして集める人々のニーズを満たすために、売買される。Tiffファイルがプリンターヘッドを動かし、木という素地に厚いインクの層を塗り付け、2つのUVライト源がインクを焼きつけて定着させる。DIYのノウハウを教えるウェブサイトから持って来た、自宅で簡単な電子機器を組み立てるための手引きとなるガイドイメージは、元のサイトから移動させられたことにより、本来の物語から引きはがされる。それらはあるひとまとまりの工程を示唆するが、イメージひとつひとつはその中のたったひとつのステップしか提示しない。必要となる全ステップが列挙されていないため、それらイメージを使って元々意図されていた物体を作る事は出来ない。つまりガイドイメージは新しい形に生まれ変わったとき、実質的に不毛化されたのだ。

アプロプリエーションされたこれらのイメージは布用インクでポリエステルと絹の混紡生地に転写され、その後窯で焼く事によりアーカイブとして固定される。こうして物質的な形状を持つことになった2つのイメージ群が、ポリエステル樹脂の使用を通して実質的に「交配」される。樹脂は2つのパーツが混合されると自ら熱を発する事で硬化する、二部構成のエポキシである。このエポキシを最初に作った木のプリントの表面に塗り、乾く前にポリエステルと絹でできた布地を乗せる。布地にエポキシが浸透してほぼ透明になると共に、再利用は言うまでも無く不可能になる。この融合により、下にあるイメージは不明瞭になると同時に露わにもなる。また発生する熱は、元のイメージの腐敗と新しく生まれたアートオブジェの生殖/創造の両方を象徴する。できあがった4 x 8 フィート(1219 x 2438mm)のパネルはその後台座制作業者へ、「以前別のアーティスト向けに制作した台座のデザインを再利用して(これらを台座にして) ください」という指示とともに送られる。最終的にあがってきた再結合済みの物体はその上に乗るべき立体作品を欠いた台座であり、元の封筒を欠いた切手と類似している。我々が最終的に目にするのは2つのイメージの幻影、つまり「ラバ」イメージであり、過去に存在していたヒエラルキーや前段階での用いられ方は制作過程における創意工夫の為に完全には読み取ることができない。プロセスは使われた素材を完全に不能にしてしまう。にも関わらず、結果として生まれるイメージは我々の完全なる注目を要求するのである。

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